2023年05月21日

コンチェルトを振る、ということ。

 みなさん、こんにちは。定期演奏会が近づいて来ました。
今回、玉井菜採さんのヴァイオリンでコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を演奏します。コロナで2回中止になりましたので、3度目の正直になります。とても楽しみです。
先日行われた合宿で、客演指揮をお願いしている森口先生が都合で遅れられることになり、下振りである私は急きょ玉井さんとの合わせ練習の指揮を振ることになりました。終わった後に3人くらいの人から、「緊張してましたねえ」と指摘されまして、どうやらそんな風に見えたようです。まあ確かに、思い返すと「いっぱいいっぱい」ではありました。考えてみればコンチェルト(協奏曲)の指揮を振るというのは、なかなか特殊なことではあります。もちろん機会が少ないということはありますが、それだけではなく、「いっぱいいっぱい」になる理由、今日は、その特殊さについて掘り下げてみたいと思います。
 まず、そもそもなぜ機会が少ないかと言えば、客演ソリストが来団するときは客演指揮者の来団日と合わせるのが基本であり、下振りはオケの練習を見るのが役割ですから、客演ソリストと共演する、という場面は基本的にないです。まあこれは当たり前のことです。つまり、今回は実にラッキーな場面だ、ということ。だから緊張するというのもうそではないかもしれません。
 でも、必死になってしまう理由は、その希少性に加えてもうちょっと別のところにもありそうです。ポイントは、指揮者の大事な特性である「指揮者は1拍前を振る」という前提条件にあります。どういうことだかお分かりになるでしょうか?
 指揮者は、オケがどんなタイミングでどんな音を出すのか、を指示するのが仕事です。1拍目に音を出すとき、その「1拍目の振り方」でタイミングや表現を指示したとすると、奏者にとってそのときにはもう1拍目の音を出そうとしている訳ですから、遅すぎます。したがって、指揮者は、その1拍前である「前の小節の4拍目(4拍子の場合)」の振り方で、次の1拍目の音を表現することになります。常に、1拍前の拍を振りながら次の拍の音を表現する、これが指揮者の基本動作になります。指揮を振る人には当たり前の話ですが、奏者の立場ですと意外と気づかないことで、今日の議論もこの点がポイントになります。
 それで、コンチェルトです。オーケストラの演奏に、ソリストという存在が加わり、関係性が複雑になります。ソリストが音楽を表現する、それを受けて、オーケストラにそれにぴたりと合うように指示を出す、でもその指示は「1拍前」でないといけない・・・・ と、なります。一見すると時間関係が完全に破たんしているじゃないですか。では、どうするかというと、ソリストの音を聞いて反応するのでは遅いので、動きや流れを見ながら、先を先を予測します。その予測をできるだけ時間ギャップなく、オケに伝え、オケの次の音に反映してもらう・・・ということになります。また、協奏曲というのはいつもいつもオケが伴奏とは限らず、場面によってはオケが先導してソロが続くこともあります。そのときにはソリストはメッセージの発信が弱まり、「ついて行くよ〜」みたいな雰囲気が出てきますので、すかさず今度は自発的にオケをぐいっとドライブしてあげないといけなくなるわけですね。そんなやりとりをメッセンジャーのようにあっちへこっちへと意識を巡らせて棒を振っていると、結局気が付いたら必死になっていて、曲が終わるころには汗だくになってしまう・・・と、そういう訳なのでした。オケ単独の曲のときといかに違うか、ご理解いただけるでしょうか。
 プロの指揮者というのは、これを当然の自然体の中でこなして、しかもそれだけにとどまらず、この中からセッションのような音楽のやりとりと空間づくりを導き、大いに楽しい場を創り上げているのですね。協奏曲というのは、単に「ソロ」+「オケ」というだけでなく、指揮者を中心に時間の前後も含んだ相互関係の中から素敵な音楽に仕上げられていくのだなあ、と、希少かつ貴重な体験をし、みんなに「緊張してましたねえ」と言われながら実感したのでした。どうですか?コンチェルト、聞きたくなりましたか? ぜひ5月28日には八幡市文化センターへ! そこで繰り広げられるのは協奏か、共創か、はたまた強奏?競争?狂騒? お楽しみに。

団内トレーナー あ
posted by 八幡市民オーケストラ at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年04月28日

弦楽四重奏と私

弦楽四重奏を聴くのが好きになったのは、20年ほど前にイギリスで聴いた演奏会がきっかけでした。当時、2年足らずの間ケンブリッジに住んでいました。京都と似た大学の街で、チャペルなどでよく小さな演奏会が開かれていて、その夜もたまたま友人に誘われて、弦楽四重奏団の演奏会に出かけました。曲目はシューベルトのロザムンデ。聴いているうちに、子供の頃のことを思い出したりして、とても幸せな気持ちになりました。メンバーは少し年配の男性4人で、特に有名な四重奏団ではなかったと思いますが、なんとも心に沁みる演奏でした。異国で一人暮らしていたので、少しホームシックになっていたということも理由の一つかもしれませんが、素敵な出会いでした。
それ以来、機会があれば弦楽四重奏の演奏会に足を運ぶようになりました。オーボエを吹いていることもあるのか、ついついファーストヴァイオリンの高音ばかりを聴いてしまう傾向にあるのですが、実際に弾いているところを見ながら聴くと、セカンドヴァイオリンやヴィオラにも耳がいくようになりました。何となくチェロがイニシアチブをとっている団体が多いように感じますが、絶対的なヴィオラ!という団もあったりして、面白いです。奏者の表情やアイコンタクトを見るのも楽しみの一つです。合図などしていないように見えるのに、出だしがピタッと揃っていることに驚くこともよくあり、自分もアンサンブルであんな風にできたらと思ったりします。
感動という意味では、今のところケンブリッジで聴いた演奏に勝るものはありませんが、これからも聴いていきたいと思っています。
オーボエ K
posted by 八幡市民オーケストラ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年03月11日

弦が切れたら

レイ・チェンというバイオリニスト自身が、プロコフィエフの協奏曲の途中で弦が切れた瞬間の入った映像を配信している(@)。渡された楽器をこともなげに弾き続け、フレーズの合間に弦の包みをポケットから出して床に放る。彼はチャイコフスキーの協奏曲で弦の切れた場面も挙げている(A)。第一バイオリンのメンバーが楽器を後ろに回すとき小さくイヤイヤをしているのは替えの弦がないのだろうか。このときはソロの合間に、レイが替えの弦を2プルトのイン(2列目の内側)まで渡しに行く。その後のカデンツァでは、何度か頷いて、受け取った楽器の音色に満足しているというパフォーマンスを見せる。
タングルウッドの奇跡とよばれたミドリ・ゴトウの実際の様子(B)を見ると、コンサートマスターの方に近づいて楽器を交換して弾き、また切れたので交換し、渡された肩当てをフレーズのわずかな合間に付けて弾き続ける。醸し出す雰囲気に大人たちは終始圧倒されているようだ。後に何かのインタビューに答えて、「あの頃はまだ子供で、とにかく続きを弾かなくてはという一心でした。」と。そう、音楽は止まってくれない。
実際に目の前で弦のハプニングを見たことが何度かある。美術館のアトリウムで開かれたリサイタル、アンコールの後半で弦が切れ、楽器を持ったカントロフがピアニストを置いたまま去り、ガラス張りの向こうのエレベーターを上って行くのが見えた。飄々と戻ってきて同じ曲を始めから弾き直した。巨匠の演奏を1,5回?聴けてお得なのか。
ヤナーチェク弦楽四重奏団の来日演奏会では、アンコールが始まってすぐ第一バイオリンの弦が切れ、4人ともいったん退場して、再登場後に演奏を再開した。切れた人だけ退場ではダメなのかなあと思いながら、アンコールにはちょっと重いチャイコフスキーを聴いた。
アムステルダムコンセルトヘボウのチケットブースでは、当日券が買える。その日はアムステルダム放送楽団の公演で、ラフマニノフの交響的舞曲の第2楽章、コンサートマスターの後ろに座るオジさんの様子が怪しい。弓を譜面台に置き、ポケットに手をつっこんで取り出した袋を開け、弦をクルクル広げて楽器に付け、指板をはじきながら耳を近づけてペグを締めたあと、すぐに弾き始めた。合間に楽器を立てて弦に耳を近づけ、ペグをもう一度いじったが、あとはずっと弾き続けていた。周りの誰一人動じることもなく曲は続いて行く。淡々としたプロフェッショナルの姿だった。
1  https://youtu.be/686xoeQAVA4
2  https://youtu.be/fh59nvRA52M
3  https://youtu.be/4QkAWD0YnOk
アマチュアのビオラ弾き
posted by 八幡市民オーケストラ at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年02月25日

続・防音室ノススメ

今回は1stVnの担当です。私は八幡オケに入団しはや10年になりました。
入団1年目のブログで「防音室ノススメ」というブログを書かせて貰ってから
9年経過し、上の娘の大学進学(上京)でもっぱら私の楽器練習しか使われて
無かったのですが、コロナ禍の中、在宅勤務が増えたため家の仕事場に使い始めました。
というのも、下の娘の大学授業もリモート授業となり家にいたため、
お互いの音声が干渉してTV会議が出来ないためでした。

早速、防音室に机とモニターを新設して環境整えてみると実はこれが快適極まりない。
・周りの音が聞こえないので集中力アップ、仕事がはかどる!(出勤時1.3倍 ※当社比)
・気分が乗らない時はお気に入りの音楽かけながら(笑)
・ノリノリの時やストレス溜まった際は大声で歌いながら(^_^;)
なので昼は仕事、夜は楽器練習にと大活躍!!
「楽器練習」の名目で大蔵省(?)からの予算が取れない方は「仕事」の名目なら取れるかも?

ただ、逆に困った事も発生。
・宅配便が来ても気が付かない(気がつくと不在通知が届いている…)
・奥さんの「食事よ」という声が聞こえない
等で家族から怒られる事も多くなってしまった。

あと、何故かノリノリで歌った日は必ず「今日はご機嫌だね」と家族から言われる…
おかしいな、防音室のはずなのに…

1stVn / ブランクながい
posted by 八幡市民オーケストラ at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年01月28日

子供会

八幡オケには、非公式ながら、「子供会」という組織があります。 
練習の間、子供を一人で家に待たせておけない、だけど親はオケやりたい!という、親の希望を叶えるための、ほぼ親都合の組織です。
ただ子供達も、毎週お友達に会えるため、これはこれで喜んでいるので、ウィン・ウィンかな、と思っています。
 
現在は、子供は小学6年生から1歳まで計9名、関係する親は15名になります。
監視のために、学生さんやシルバーさんに来ていただき、親がその費用を負担しています。

私が知る限り、古くは、ほるんのFさんが、お子さんとシッターさんを連れて練習に来られていたのが始まりかな?と思います。
もうかれこれ25年くらい前のことです。

その後は、ほるんで運営委員長のUさんも(当時の仕組みは余りわかっていませんが)シッターさんに預けて吹いておられました。

その後、オケに来る子供達も増え、うちも参加させてもらうようになりました。
その頃、ほるんでトレーナーのSろーさんが、練習後にお子さんのおむつを変えておられたのを覚えています。

コロナ前は人数も多くて、かつ小さい子が多く、子供10人超え、シッターさん3人…というような日も多く、保育園のようでした。

コロナで一度子供が激減、しかし、また徐々に戻ってこられています。
子供会があるということで、新たに入られたご夫婦もあり、団員増に少しは貢献しているのかな?と思います。

今までの子供会の卒業生には、色んな方がおられます。
学校や一般のブラスやオケに入ったり、プロの音楽家を目指したり、団員になったり…。
音楽に関係なくても、八幡縁起を繰り返し聞いたり、という人もおられます。

私が考える、オケに来る子供の特徴はこんな感じかな?と思います。

1、とにかく楽器は大事なものと思っている(親に口すっぱく言われている)
2、大人は皆何かしら楽器をやるものだと思っている
3、土曜日の夜は当然オケに行くものと思っている
4、鼻歌がオケの曲…
5、指揮者のマネがうまい?

最後になりましたが、運営の皆様はじめ団員の皆さまに感謝しています。
子供部屋を抑えて下さったり、駐車場もご配慮頂いたり、にぎやかな声が多少聞こえても多めに見てくださったり…
皆様のおかげで私達親達もオケを続けられています。
本当にありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願い致します!

ラフ2大好きほるんふき。
posted by 八幡市民オーケストラ at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年01月14日

八幡オケのあゆみ


私は大学生の終わりに八幡オケに入団し、以降、転勤で一時的に離れた時期を含めると30年以上在籍しています。最近、古参の団員が何人かオケを離れ、気が付くと最古参の一人となってしまいました。

私が入団した当時は八幡オケ自体が若く、メンバーも20代や30代が活動の中心であり、更には高校生など10代のメンバーもいました。それから30年強、もちろん今でも若いメンバーは少なからずいますが(中学生も!)、長く在籍しているメンバーも少なくなく、全体に年齢層が上がっています。

八幡オケは昨年、創立40周年を迎えました。最古参メンバーの一人として、八幡オケのこれまでのあゆみを少しご紹介したいと思います。

以下は、10年と少し前、30周年記念演奏会のプログラムに載せた「八幡市民オーケストラのあゆみ」に少し手を加えたものです。十分にアップデート出来ていない部分もありますが、ご容赦ください。

1.結成の経緯、団員数
(1)結成の経緯
八幡市文化センター落成に先立ち、当時の八幡市長より「ホールが出来るならオケ」とオケ結成の指示が下り、市の関係者が近郊のプロ音楽家に呼びかけ、音楽好きの人々が集まり1982年4月に結団式を行いました。

(2)団員数
結成時から90年代前半までは40〜50名で推移していました。98年頃から急増し、02年には80名を超えましたが、最近はコロナの影響により、もう少し少なくなっています。

2.演奏場所等
(1)演奏会場
第1回定期(83年11月)以降、定演クラスの演奏会は全て八幡市文化センター大ホールで行っています。ホール落成前の音響チェックは当団メンバーが中心となり行いました。92年12月、文化センター10周年記念の市民音楽祭にてベートーヴェン第九の文化センター初演を果たしましたが、これは当時の館長より「文化センターでの第九初演をぜひ八幡オケで」とのお言葉を頂いたことがきっかけとなったものです。

(2)練習場所
最初は男山児童センターでしたが、その後、男山公民館に移り現在に至っています。

(3)合宿
通常練習だけでは限界があると考え、より集中的に練習するため、95年秋に初めての合宿を宇治田原で実施。その後、京田辺竜王(食事は自炊)、比叡山坂本などに場所を移し、現在では主に大津市の圓満院門跡にて実施しています。客演指揮者にもお越し頂き、演奏会1ヶ月前の土曜昼から日曜夕まで延べ13時間練習。夜は大宴会で団員間の交流を深めていましたが、最近はコロナで自粛しています。

(4)打ち上げ
創立以来、演奏会の打ち上げは男山指月の「豊川」にお世話になってきました。練習後も一部のメンバーが長年豊川へ通い、限られた練習時間内では出来ない意見交換や打ち合わせ等を行っていましたが、最近では主に樟葉駅近くを利用しています。コロナ以降、全体での打ち上げが出来ておらず、早く出来るようになってほしいものです。

3.演奏活動
(1)定期演奏会
83年の第1回以降、次の演奏会が第59回定期演奏会となります。当初は定期の他に、「サマーコンサート」「グリーンコンサート」といった名称でオペラや軽めの曲を採り上げていましたが、次第に定期と同等の内容・重さを団員が求めるようになり、2001年秋から全て「定期」に統一しました。「サマー」「グリーン」(計13回)を合わせると、次の演奏会は「第72回」となります。

(2)ファミリーコンサート
お子様や、クラシック音楽にあまり馴染みのない方でも楽しんで頂けるプログラムにて、06年に「ファミリーコンサート」、08年に「はるもにいコンサート」を開催。楽器紹介、指揮者コーナーや男山三中吹奏楽部部員との共演等を行い、大変好評を頂きました。

(3)やわた市民音楽祭
88年11月、文化センターの開館5周年として開催された市民音楽祭に参加。以降、12回開催された音楽祭の大部分に参加。これまでに、ベートーヴェン「第九」、ショスタコーヴィチ「森の歌」、マーラー「復活」、ヴェルディ「レクイエム」といった合唱付きの大曲に取り組み、また10年1月には八幡市が平野一郎氏に委嘱した「八幡縁起」を世界初演、更に16年1月には、同じ平野一郎氏の続編「八幡大縁起 〜四人の独唱、混声合唱とオーケストラによる民俗誌」を世界初演しました。

(4)室内楽演奏会
定期演奏会等の合間を縫って、不定期に室内楽演奏会を開催し、有志団員が様々なグループを結成して室内楽を演奏しています。

(5)依頼演奏への出演
86年4月、生協主催「虹のコンサート」に出演。
87年3月、八幡東小学校育友会の依頼演奏会に出演。
97年、NHKのTV番組「ハネケン・ハカセのアットホームコンサート」に出演。出演料としてティンパニ1台を購入頂き、現在も使用しています。
00年10月、京田辺音楽連盟の依頼演奏会に出演。
02年11月、八幡市立生涯学習センター「あわてんぼうのクリスマス」に室内楽で出演。
03年3月、人形劇団クラルテ公演「セロ弾きのゴーシュ」に演奏参加。
03年12月以降数回、男山児童センター「クリスマス会ミニコンサート」に室内楽で出演。
07年8月以降毎夏、練習場である男山公民館主催の「ファミリーコンサート」に出演。
09年3月、八幡市立生涯学習センター「親子で楽しむ夢のコンサート」に単独出演。
10年12月、八幡市「あかりの祭典」に金管セクションが出演。
11年11月、当団も所属する八幡市文化協会の設立10周年記念事業「いきいきコンサート」に出演。オケ演奏に加えて、会場全体での合唱「ふるさと」を伴奏。等々。

4.プロ演奏家との関わり
(1)指揮者
創立当初は、団内のプロ演奏家数名が練習を指導し、演奏会の指揮者も務めていましたが、活動が進むにつれ、より良い音楽を目指す中で「本職の指揮者を客演で呼びたい」との声が高まり、90年1月の第7回定期演奏会で初めて、加藤完二氏を客演指揮者として招聘。その後は客演指揮者制に移行、但し特定の音楽監督は置かず、数名のレギュラー客演指揮者に交替でお越し頂き、また時折新しい方にも来て頂いてます。
また普段の練習は、客演指揮者制への移行後は団内のアマチュア奏者がトレーナーとして指導しています。

(2)ソリスト
ヴァイオリンの玉井菜採さんは、ご両親が当団団員と知り合いであった縁で、01年にベートーヴェンで初協演、以降8回にわたり協演させて頂いています。数々のコンクールに入賞し、圧倒的な技術と音楽性をお持ちの玉井さんとの協演は、当団に多大な刺激と影響を与え、当団の音楽的発展に大きく寄与していると考えます。20年以降、玉井さんとの協演がコロナで2回も中止になってしまいましたが、今年5月には「三度目の正直」でコルンゴルドの協奏曲を協演させていただく予定です。
団員関係では、ご両親が団員で幼い頃から練習に連れてこられていたヴァイオリンの見渡風雅さんと08年に、八幡市在住で高校時代に団員であったクラリネットの村西俊之氏と09年に協演。またウクライナからピアニストのアンドレイ・イエーメツ氏にお越し頂いたことも(04年)。その他、これまでに多くのソリストにお越し頂き、演奏会を盛り上げて頂きました。

(3)外部トレーナー
当団は、普段の練習は団内トレーナーが指導していますが、不定期に外部トレーナーを招聘し、セクション毎にご指導頂いています。
弦トレーナーの上田博司先生は、03年5月の定期の練習で初めてご指導頂きました。ドビュッシーでフランス音楽独特の響きの表現に苦しんでいましたが、先生の一言で音がどんどん変わっていきました。
上田先生が海外での演奏活動のため日本をしばらく離れることとなった05年、上田先生のご紹介で、大阪フィルハーモニーのヴィオラ奏者である岩井英樹先生に初めてお越し頂きました。
打楽器の早坂雅子先生は、05年10月定期で大栗裕作曲「管弦楽のための神話」を演奏した際に初めてお越し頂き、以降現在までご指導頂いています。

(4)作曲家
10年1月の市民音楽祭で委嘱作品「八幡縁起」を初演。作曲者の平野一郎氏とは作品完成前から連絡を取り合って楽器編成や演奏方法、イメージ等について詳細に打ち合わせを行い、また練習にも何度もお越し頂いて作曲家のイメージを丁寧に伝えて頂きました。全く音源のないところから作り上げる壮絶な「産みの苦しみ」はありましたが、平野さんのこの曲に対する愛情と情熱は凄まじく、大変感動的かつ貴重な体験をさせて頂きました。拍子やリズムが複雑にめまぐるしく変わる大変な難曲で、3文字と4文字の言葉を交互に唱えればリズムが取れるのではいうことで、「やわたやわたやわたやわたやわたしやわたしやわたし」と唱えながら練習したこともありました。
16年1月の市民音楽祭では、八幡縁起の続編である、独唱・合唱入りの「八幡大縁起」を初演。合唱団を含めて再び「産みの苦しみ」を味わいましたが、その分、演奏後の感動はひとしおでした。

5.団内外広報
(1)団内報「はるもにい」
団内の諸件連絡用に「はるもにい」という名の団内報を配付しています。87年頃、当時団員であった八幡市の学校の先生方が、生徒配布用プリントのノウハウを活かして初めて作成。以降毎月発行しています。当初は手書きでしたが、その後ワープロを経てパソコン化され、完成版はネットでもアクセスできるようになりました。今は紙の配付をやめ、ネットのみとなっています。練習計画、運営関係連絡、その他トピックスを掲載。過去に、40回にわたる徒然エッセイ、団員の音楽旅行記、演奏曲目の詳しい解説などを掲載。

(2)ホームページ(http://yawata.org/
転勤等で遠方に離れる方に「はるもにい」を読んでもらえるよう、94年頃にHPを立ち上げ、その後団外への広報用に利用することとなりました。演奏会情報、過去の演奏会記録、その他団に関する情報、団員募集等を掲載しています。

(3)ブログ「ほぼ週刊・八幡市民オーケストラ」(http://yawata.sblo.jp/
当団の様々な活動内容等について、より自由な形で発信し、特に団外の皆様に当団を身近に感じて頂くことを目的として、09年6月にブログを立ち上げました。「ほぼ週刊」を目標としつつ、当初は数ヶ月空くことも珍しくありませんでしたが、各パートによる輪番制を導入した11年6月以降は「ほぼ週刊」を実現しています。

6.その他
(1)八幡市文化賞功労賞受賞
10年11月、八幡市文化賞功労賞を受賞しました。同賞は「文化の振興及び発展に多年にわたり功績のあった者または団体」に贈られるもので、当団の受賞理由は「演奏活動を通じた音楽の普及・振興に対する功績が大きい」というものです。当団の長年の活動が認められたと同時に、市民の皆様に演奏を楽しんで頂けているということかと思います。

打楽器最古参
posted by 八幡市民オーケストラ at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年12月24日

来年はどんな年?

今年も残すところあとわずかとなりました。もう焦るのは通り越して、来年のことを考えてます。
来年は、どんな年になるのでしょう?
穏やかな年になってほしいですね。
私自身は、新しいことを始める為の準備の年にしようと思ってます。
オケでは、三度目の正直、玉井さんとのコルンゴルトを実現させたいですね。
そして、もしかしてと思い、先程確認したところ、なんと「オケ入団10周年を迎える」という記念すべき年でした!
毎週土曜日に男山公民館に通う生活を10年、良く続けて来れたなと感慨深いです。思い起こせば、初めの数年はとにかく弾けなくて…申し訳なかったです。オケ未経験で飛び込んでしまったので、もう練習するしかなくて、ひたすら夜に寝落ちするまで練習していた記憶があります。(今思うと、凄い…笑笑)
それでも演奏会を重ねる毎に少しずつ慣れていき、そこからはどんどん楽しくなっていきました。皆さんの音楽愛をひしひしと感じ、それが真剣勝負につながる。この世界に入った人にしかわからない楽しさですね。
オケもソロで弾くことも、カルテットもそれぞれ楽しくて、自分は周りに恵まれているなと感じます。
つらつらと書きましたが、こんな感じで来年も音楽活動続けていきます。
そして、春までラフマニノフ弾きまくろう!!

パンダバイオリン
posted by 八幡市民オーケストラ at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年12月14日

宿命

 ずっと前から続いてきたコロナ感染対策ですが、ついに屋外でのマスク着用は原則不要となりました。しかし、いざ外に出てみるとマスクを着けている人の方が多いように感じます。私個人としてはマスクは着けていない方が楽で良いのですが、これから冬の寒さも厳しくなりますし、コロナウイルスだけでなくインフルエンザ等の感染にも気をつけて過ごしたいものです。

 さて、今日は楽器の持ち運びについての話題を書こうかと思います。中学・高校で吹奏楽部に所属されていた方ならご存じの通り、管楽器メーカー純正の楽器ケースの多くは昔、背負うためのバンドがついていなかったため手で持ち運ぶしかなく、しかも重いものが多かったように思います。ところが最近は純正ケースも背負えたり、繊維素材の軽いものも増えてきました。楽で良いです。私も、メーカー純正のものではありませんが、プラスチック製の背負える楽器ケースを気に入って使っています。楽器を背負っての移動は楽で、手で持ち運ぶよりも疲れません。

 とはいえ、それでも楽器の持ち運び中に面倒に感じることが多くあります。自転車も自動車も持っていない私には、移動手段は徒歩か公共交通機関しかありません(タクシーは高いから嫌だ)。歩いて移動するときは、30分でも1時間でも歩くのですが、背負える楽器ケースを使っていてもさすがに疲れます。電車に乗っても、車種によっては席にケースが入らないことがあり、ずっと立ちっぱなし。バスに乗っても、混んでいるときは端の方でつま先立ち。飛行機には手荷物として持ち込めず、もう一席確保するか預けるか(私の楽器は空輸中にベルが二箇所凹みました)…。飲み会のときは楽器を置くためのスペースが必要で、そもそも楽器以外にも荷物が多いと単純につらいです。もっと楽にならないものでしょうか…?

 例えば電車に乗るときは、楽器ケースを置いて座れる車種に、ターミナルから乗って確実に座れるようにする等の細かい工夫はでき、それで肉体的な負担も軽減されるのですが、比較的短時間の移動ならその違いは些細なもので、そんなことをいちいち考えなきゃいけないのも面倒です。とすると、あまり深く考えず、現状の楽器持ち運び方法でも良いのでは?という気もします。いっそ楽器持ち運びに伴う面倒や苦痛を、そういうものだと一切合切受け入れてしまった方が楽になれるのでは…。むしろ運動になって良いのでは…。そんな風に自分を納得させながら楽器を持ち運ぶ今日このごろです。
Trb H.M.
posted by 八幡市民オーケストラ at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年11月28日

ビオラのサイズ

ご存知の方も多いと思いますが、ビオラには規格サイズがありません。バイオリンは35.5cmが一般的ですが、ビオラは38〜42cmとまちまちで、何なら45cmなんていうのもありです。サイズが大きい方がよりビオラらしい豊かで大きな音が出るため、できるだけ大きいものを選びたいところですが、実際に弾く事を考えるとそうもいきません。1cm違うだけで構えた時の感覚が違うので、自分の体格、手や指の長さと相談して無理なく弾いていられる事が重要です。だって長時間弾き続ける時って、まず楽器を構えている事自体がしんどくなるんですよー。もちろんサイズのみならず、自分好みの音色かどうかも大切なので、大きさだけが選択基準な訳ではありません。

というわけで(どういうわけ?)、八幡オケのビオラメンバーはそれぞれ何cmの楽器を使用しているかアンケートをとってみました(今期練習に参加メンバー8人)

結果
38.3cm 1人
39.0cm 1人
39.5cm 3人
40.3cm 1人
40.5cm 1人
42.7cm 1人

おぉ〜バラバラです。しかし39cm台が4人、やはりこの辺りが弾きやすいという事でしょうか。42.7cmの楽器使用者は皆様ご想像通りです(^^)羨ましい。そして38.3cmとの差が 4.4cm!並べてみるとかなり違うのでは。ご興味のある方は練習時にビオラパートまで♪

最後にビオラの皆様、今回はご協力ありがとうございました。「メジャー持ってくるので楽器の大きさ測らせてください」と言ってメジャーを忘れること2回。結局「家で測って早めにメールしてください」という図々しいお願いになったにもかかわらず、皆さま帰宅後直ぐにメールをくださいましたm(_ _)m

最後の最後に、そんなビオラパートは団員を大募集中です。現在メンバーはベテランの方、子育て中の方、ちょっとブランクあって再開した方などなど色々です。入団前にお試しで練習にも参加頂けますので、是非お気軽に楽器を持ってお越しください。お待ちしています!
40.3cmビオラ弾き
posted by 八幡市民オーケストラ at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年11月02日

久しぶりの演奏会( 第58回定期演奏会 )

先日の第58回定期演奏会について、ご協力下さりました皆様、お越しくださった皆様、ありがとうございました。
お陰様で無事に演奏会を終えることができました。

今回は担当楽器ではなく、八幡オケの運営に関わるひとりとしてブログのバトンを頂いたので、運営視点でブログを書かせていただきたいと思います。

新型コロナウイルスが騒がれ始めてから、2年以上経ちました。
これまで、演奏活動の縮小もあり、演奏会もお客さんの人数や規模を制限して、オーケストラとしての活動を続けてきました。
(2回、予定していた演奏会も無くなりました。)
演奏会の規模の制限、ということで、一般の方へのチケット販売や、広報活動も大いに制限されました。

今回、久々に制限を緩めたところ、制限時よりかなりの来場者のみなさまに来ていただくことができました。
一般向けチケット販売場所も制限されていたにも関わらず、たくさんの方にご購入、ご来場いただきまして、嬉しく思います。
感染対策など面倒なことが多い中、それでもご来場くださったお客さんは大切にしていきたいと考えています。

今回から演奏会場ホールに、演奏会開催を知らせる立て看板を立てさせていただくことができました。
(コロナ流行から前回までは看板の掲示は控えていました)
約3年ぶり(?)に、華やかな看板を掲示することができ、このコロナ渦の終わりの気配を感じました。

次回の演奏会より、少しずつお客さんへのお声がけや広報活動をコロナ前に戻していきたいと考えております。
足の遠のいていたお客さんにも、再度ご来場頂くきっかけにして頂ければと思います。

このような状況下にも関わらず、オーケストラ活動を続けることができ、ありがたいなあと切に感じます。
早くコロナ渦が完全に収束し、行動制限が全く無くなる日を心待ちにしています。

八幡オケ広報部のひとり(協力者、広報部長募集中です!!)
posted by 八幡市民オーケストラ at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記