2025年02月03日

オケ遍歴

 今思い返してみると、とても長い間オケ活動をやってきたな〜という思いがあります。中学の時にブラスバンドのトランペットにあこがれて入部したものの、「おまえは唇がぶ厚いから、、、」ということでユーホニウムに回され、そのうちにフルートに目がとまり、ついにアルルの女のメヌエットが吹けるようになったころ(高1;昭和33年)、ジュニアオケに入団。ずーっと2番フルート。当時はオーボエ、ファゴットの吹き手が少なかったので一瞬2枚舌の楽器に転向しようかなと心が動きました。一方、弦楽器では中低音(ビオラ、チェロ、コントラバス)が不足していました。何故かコントラバスに魅かれて転向して、いきなりの曲がシューベルトの未完成交響曲でした。ある時、朝比奈先生が指揮台に立たれて、冒頭の部分の練習の時「お前、一人で弾いてみろ!」と言われました。全メンバーが私一人に聞き耳を立てているという言いようのない恐怖の瞬間を味わいました。
 ちょうど高校2年(昭和34年)のとき、大阪国際フェスティバルの第1回がフェスティバルホールで開催され、誕生したばかりの京都市交響楽団の演奏を初めて聞きました。当時、関西には関西交響楽団(大フィルの前身)と宝塚歌劇団の劇伴用のオケがあっただけです。京響はこじんまりとしてはいたけど勢いがあって、引き締まった演奏だったと記憶しています。大学が京都にあった加減で京響の定期演奏会にはよく足を運びました。ハチャトゥリアンがレオニード・コーガンを伴って京響を指揮した演奏会にも臨場していました。私は少し下手に陣取って座ります。するとちょうど正面にコントラバスのN先生がみえます。自分がコントラバスを弾いているという自覚と意識がだんだんに高くなり、N先生の一挙手一投足を目に焼き付けていきました。演奏していない時の手の組み方や足の置き方等々、演奏の実力以外は完全コピー物となりました。
 後年、弟子のひとりとして認めていただけました。その頃、現在の関西フィルの前身のオケ(ヴィエールフィルハーモニー)に呼ばれて、先生と二人してエキストラとして、かなり頻繁に参加し、一緒にプルトを組むことになったので、その折々には沢山のの有意義なアドバイスを受けました。私は我流でコントラバスを始めたこともあり、ボウイングに難点があったのをまず指摘されました。「あんたのボウイングはま〜、治らへんやろな〜」という絶望的な指摘もうけましたが、大部後になって「チョットましになったな〜」というお言葉もいただいて有頂天になったことも記憶に新しいです。
 コントラバスでは楽譜の指示より1オクターブ低い音が出ているのですが、何故か自分の耳にはそういう風には聞こえてこず、特に高音域を演奏する場合は、あたかもファルセットで歌っているような気がして弾いています。古典派の楽曲ではチェロとユニゾンで演奏することが多く、例えばモーツァルトのフィガロの結婚序曲やハフナー交響曲の第4楽章など、バイオリンからコントラバスまで全弦楽器が早いパッセージを演奏するところ等は、大きな球が軽々と回転するような軽妙な爽快感が要求されますが、いかに落っこちないように、テンポの足を引っ張らないようにするかが課題ですし、チャイコフスキーの悲愴交響曲のようにひたすら低い音を左手の指の力がなくなり、気が遠くなりそうなほど延々と刻むというのも大事な役割です。さて、旋律楽器としての面目躍如となるのは何と言っても、ベートーベンの第9交響曲の第4楽章のレシタティーボ部分でしょう。また、ドボルザークの新世界交響曲の第2楽章の中間部にあるコントラバスのパートソロはピチカート奏法ですが、ここの部分も鼻高々となるところです。ちょうど良い具合なのはブラームスです、4曲のシンフォニーはどれも適当にむつかしいけれど、歌える旋律が十分に備わっています。いつまで弾き続けられるかはわかりませんが、これからもコントラバスの深い響きの中におぼれて居りたいものです。

82才のコントラバス弾き
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2025年01月13日

オーボエ三大〇〇

古今東西「三大〇〇」というものはどの分野にもあるわけでして、
ここではオーボエでの様々な「三大〇〇」を独断と偏見に基づいてご紹介したいと思います。

【三大交響曲】
これはベートーヴェンの3番「英雄」、
ブラームスの1番、チャイコフスキーの4番で異論のないところだと思います。
個人的にはチャイコフスキーの4番の1番パートのみ未経験です。

【三大イングリッシュホルンの活躍する交響曲】
いきなり変化球ですが、イングリッシュホルンの活躍する「交響曲」となると、
真っ先に上がるのはやはりドヴォルザークの新世界でしょう。
次点はベルリオーズの幻想交響曲でしょうか。
その次が難しいですね。Wikipediaによればショスタコーヴィチの8番、11番でも活躍するようですが、
個人的には詳しくないので、3番手はフランクの交響曲とします。
なおハイドンの交響曲第22番「哲学者」はイングリッシュホルン2本で演奏する、
当時としては相当変わった編成として知られています。

【三大協奏曲】
モーツァルト、リヒャルト・シュトラウスまでは間違いのないところだと思います。
3番手を選ぶのに悩んだので、Apple Music(クラシック)で「オーボエ協奏曲」と検索したところ、
ヒット数の順ではヴィヴァルディのイ短調が3番手でした。
ただヴィヴァルディには調違いで複数の協奏曲があり、どれか1つを代表として取り上げにくいので、
ここでは3番手はマルチェッロとしたいと思います。
参考までに以下、ハイドン(偽作とされる)、ベッリーニ、ヴォーン・ウィリアムズ…と続きます。

【三大メーカー】
ここはやはりロレー、マリゴ、リグータでしょう。
現代楽器の運指システム(コンセルヴァトワール式)がフランス発祥ということもあってか、
フランスのメーカーが優勢で、世界中でこれらのメーカーの楽器が使われています。
なお当八幡オケのメンバーの場合、フランス2、イタリア1、ドイツ1の割合となっています。

【三大奏者】
多くの偉大な奏者がいる中で3人を選ぶというのは無理があり、
暴挙ともいえるのですが…ここはまさに独断と偏見で、「神」ハインツ・ホリガー氏、
奏者として超優秀なだけでなく、多くの優秀な奏者も育てたモーリス・ブルグ氏、
個人的に現役奏者では最高と思うフランソワ・ルルー氏の3名としたいと思います。

【三大チューブメーカー】
最後は誰得なマニアックな項目です。といっても全くデータがないので、
ここでは「Understanding the Oboe Reed」という書籍に掲載されている100名以上のプロオーボエ奏者のリードデータをもとに調べてみました。
その結果キアルージ、グロタン、クロッファーとなりました(※超マニアな方への注釈:昔の本物のクロッファー、クロッファー・オリジナル、
メッケルのクロッファーは区別せずにクロッファーとしています)。
キアルージというメーカーは私がオーボエを始めた30年以上前にはなかったはずですが、
製品精度のばらつきの少なさと、バリエーションの豊富さからか、現在は世界中で広く使われているようです。

アラフィフヲーボエ吹き
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2024年12月24日

音変え問題

新しい曲の練習が始まって1か月ほど経ちました。近現代の曲でティンパニを演奏するとき、練習開始前に考えなければいけない点として音変えどうしよう問題があります。
ティンパニは一般的には最大で4台使いますが、それぞれサイズが違い、音域が異なります。また、ティンパニの譜面には普通に(?)音が書いてあるだけで、どのティンパニでどの音を取るのか書いているわけではありません。ただし古典の曲であれば話は難しくありません。1つの楽章の間で出てくるのは原則的に2つの音で、一般的には26インチに根音、29インチに4度下の五音が割り当てられています。例を挙げると運命の1楽章であれば26C−29G、第九の4楽章であれば26D−29Aといった感じです。(ベートーヴェンは変わったこともさせていますがそこは目をつむってください)
近現代の曲の場合は1つの楽章の間でも多数の音が出てくるため、ティンパニのペダルで音変えをしながら演奏しますが、パート譜にどのように音変えをすればいいか書いているわけではありません(たまに譜面に音変えが書いてある場合もあるが、打楽器奏者が書いているわけではなさそうで非常にやりにくい)。前述したようにどのティンパニでどの音でも出せるわけではありませんが、隣接するティンパニの音域はかぶっているため複数の選択肢がありえます。またそれぞれの奏者の個人的な意向として、根音と五音はできれば真ん中2つで叩きたいとか、離れた釜の音で細かい動きを演奏するのは大変とか、23インチは小さくてパワーがないので極力ほかの釜を使いたいとかのしばりもあります。これらを反映させながら音変えを決めるのはパズル状態です。ちょっと話は違いますが四色定理を思い出します。いくつのティンパニがあればどれだけの音を出せるでしょうか?
今回練習しているショスタコーヴィチの場合は中音域で複数の音を同時に使うことがよくあるため、普通だとそのティンパニで出さない音に変えて叩く必要があります。これはこれで音変えも演奏も非常に混乱します。
これらを乗り越えて初見大会に臨みますので、特に練習の初期においては間違えた音を叩いていても暖かく見守っていただければありがたいです。次回の練習はどうなるでしょうか・・・


ショスタコ党員K
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2024年12月10日

いい刺激!

 子供の習い事(ヴァイオリン)で、月1回朝9時から休憩を入れながらの3時間の合同練習に付き添いで行ってますが、未就学児から、最年長者は60歳台まで、幅広いメンバーが集まってます。
練習内容も全員立奏で基礎練習から教則本1巻(全10巻)から順に指定曲を練習していきます。
そして1巻進む毎に、最後に礼をして自分が習っている巻が終わると順次抜けて一旦席に座って次の出番が来るまで待ちます。
付き添いも常に睡魔との戦いと言いますか(すいません)大変なんです。
でも出番待ちの子供達を見ているとなかなか楽しいんですよ。
@きちっと座って聴いている子
A塗り絵をしている子
B本を読んでいる子
C見よう見まねで弓使いのまねをしている子(はよ、上手くになるでと感心する)
D椅子に座ってるが足をぶらぶらさせてる子(いつになったら、足を止めるのか、気になるので、いつまでも見てしまう)
と十人十色というところでしょうか。
先生と話をしていると過去PM13時からだったのですが、睡魔に襲われちゃう子供が、勃発しAM9時からの練習に変更されたそうです。
楽器以外でも、生徒に教えられてる事は、一杯あるからねと言われて、音楽を通しての礼儀、人への思いやり、感謝、コミュニケーション、子供の柔軟性と好奇心の向上、自己挑戦と達成感、と言っておられました。

 毎回いつ見ても、刺激を受けるのが、未就学児の弓使いの、切れ味の良さ! かっこいいね!(もうちょっと大きくなったら、一緒にアンサンブルでもしよか、と思ってしまう)
1/16や1/10のちっちゃいヴァイオリンを一生懸命弾いている姿がまた可愛いんですね。ただ体力的に、充電切れになるのも確かに早い! 

 こうやって、刺激を受け、俺も帰ったら楽器の練習をせなあかんなと思いつつ、自分も師匠から、
丁寧で細かな練習を沢山して、細部まで心の行き届いた音楽を目指して曲目に取り組みなさい。
と教えて頂いたのが置き去りになっていたのに気が付いた・・・。 頑張ります。

ダブルリードでダブルタンギング練習中のえんとつ君
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2024年11月28日

ブラボーも良いけど余韻もね!

演奏会へいくと、演奏中に指揮者の唸り声(?)や奏者の息づかいが聞こえたり、音の振動が体に伝わってきたり、美しいボーイングや指揮者のしなやかなタクトの動きに目が奪われたりと、いろんな楽しみがあります。指揮者が最初にタクトを振る瞬間の緊張感もゾクゾクします。
CD等では決して味わえない生演奏ならではの醍醐味。
興味深い演奏会情報を見つけると、「今回はどんな演奏が聴けるのだろう。」とウキウキワクワクしながら演奏会へ出かけていきます(最近は残業続きで聞き逃しが多いのが残念ですが…)。

ひと昔前まで、演奏中に不自然な音が発生するのは常でした。
腕時計や携帯電話のアラーム、持ち物に付けた鈴の音、キャンデーの包み紙をはがす音、プログラムに挟まれた大量の演奏会情報チラシを床に撒き散らす音etc.
演奏中(特に静かな場面で)、そんな音が聞こえてくると美しい旋律の邪魔になり、聴くことに集中できなくなったりして、とても悲しい気持ちになりました(時には怒りを感じることも!)。
しかし最近では、携帯電話の電波を遮断するシステムがホールに取り入れられたり、雑音を出さないよう来場者に注意喚起がされたりと、いろんな対策が功を奏して、演奏中に不自然な音が発生することは随分減ったと感じます。
でも他に気になることも。
それは演奏終了時の「ブラボー!」です。
「私が、このホールにいる人たちの中で一番に『ブラボー!』って言うぞ!」と意気込んでいるのかどうかはわかりませんが、演奏が終わるや否や「ブラボー!」と叫ぶ方が結構おられて、その声が合図になって拍手が始まることが度々起こります。
演奏終了時、消えゆく余韻を感じる時間はさほど長くはありませんが、私は余韻に浸りながら「いい演奏だったなぁ!」としみじみするのがとても好きだし、舞台の上で指揮者や演奏者たちが余韻を感じている姿を見ると「余韻も演奏会の一部だなぁ。」と感じたりもします。演奏会では最後の余韻も楽しみの一つになっているのですが、フライング気味な「ブラボー!」で盛大な拍手が起こってしまうと余韻どころではなくなり、とても残念な気持ちになってしまいます(舞台の上で指揮者や演奏者が「あれあれ?すぐ拍手起きちゃった?!」と苦笑いする姿を見た覚えもあります)。
素晴らしい演奏を称賛する「ブラボー!」は、演奏する側にとっては喜ばしいことですし、その時のプログラムの内容によっては、もしかしたら少しフライング気味でも場の雰囲気が盛りあがって結果オーライということもあるかもしれませんが、それでもやっぱり「ブラボー」を言う前に、もっと演奏の余韻を感じてほしいなぁと思わずにはいられません。それに演奏の余韻を十分味わってから「ブラボー!」って言うほうがスマートじゃない?

これから年末年始にかけて演奏会に行く機会が増え、素晴らしい演奏に「ブラボー!」と叫びたくなる人もいると思いますが、まずは演奏の余韻を十分に感じていただいてから「ブラボー!」と言ってもらえたらうれしいです。

byおざQ
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2024年10月27日

定期演奏会を終えて

先日、八幡市民オーケストラの第62回定期演奏会が無事に終了しました。ご来場いただいたお客様、お世話になった文化センターの皆様、そのほか関係者の皆様ありがとうございました。そして、初回の来団から最後まで常にあたたかくご指導くださった指揮者のゴギ先生にも改めてありがとうございました。


今回は運営の末席にいる関係でブログ担当することになったので、本番の裏方のことを少し書かせていただきます。毎回役割分担を決めさせていただいていますが、アマチュアオーケストラである故、団員みんなでお客様をお迎えして裏方もしなければならないということと、全員が本番を迎える演奏者なので一人ひとりの本番前の負担をなるべく増やさず演奏に臨んでもらえるようにするのと、毎回そのバランスに頭を悩ませながら割り振りを考えています。影アナや花束プレゼンターなどの方には毎回個別に声掛けしてお願いさせていただいており、他にもチケットもぎりやロビー前でのお客様案内、けっこうややこしいチケット販売など最前線での対応もあり、さらには演奏会後の片付けや立て看板の撤去、打ち上げ会場の手配や司会なども…と書き出すとキリがないですが、どの係の方もいつも快く引き受けて対応いただき感謝しております。


さて、裏方の話はこのくらいにしておいて、八幡市民オケの今後の演奏会予定をお知らせします。来年2025年の1月12日には「室内楽の集い」、5月18日には第63回定期演奏会を開催いたします。定期演奏会は、2年ぶりに森口真司先生をお迎えして以下の曲目を演奏します。
・ロッシーニ/「セヴィリアの理髪師」序曲
・ハイドン/交響曲第104番「ロンドン」
・ショスタコーヴィチ/交響曲第12番「1917年」

今年のブルックナーイヤー(生誕200年)に続き、来年はショスタコイヤー(没後50年)にちなんだ大曲が続きますが、また多くのお客様をお迎えして演奏会ができるのを楽しみにしたいと思います!
裏方の裏方
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2024年10月06日

S/N比

いわゆるアマオケは、言うまでもなく趣味の団体で、演奏したい人が集まっています。メンバーは、晴れ舞台(演奏会)を目指して日々練習する人たちと言って良いでしょう。そして、演奏というのはオーケストラの場合、指揮者を除いて全員なんらかの音を出すのが基本です。まあ指揮者も唸り声とか出す人が居ますが、あれは楽譜に書いてないのでノーカウント笑

さて、平均的なアマオケの主催演奏会の頻度は、おそらく年に2回くらいでしょう。半年間、仮に週1回練習するとした場合、演奏会1回当たり20回以上練習するわけですので、毎回の練習が楽しいかどうかはたいへん重要であるとおわかりいただけると思います。とはいえ、楽しいポイントは人それぞれ。全員が共通して楽しいと感じるのはなかなか難しそうです。そんな中で、楽しさの最大公約数であろうと私が思うポイントは、音を出す時間ができるだけ長いというものです。前述の通り、なんといっても音を出したいがためにわざわざ集まってるわけですしね。

ここでやっと本題。トレーナーをやっていると、自分のパート以外にも目が行きますし、下調べもするので様々な発見があります。また、自分だけ音を出してないので、練習で出ている音を(まあ、ある意味でヒトゴトとして)比較的冷静に聴くことができます。それらから得た気付きを皆さんと共有するわけですが、トレーナーが何かを指摘 / 説明している間は、オケは音を出しません。話が長いと、自動的にオケが音を出す時間は減ります。指摘しないわけにはいかないが、それを実践して体得するために音を出すことも不可欠なので、説明している時間と音を出している時間の比率を意識しないと楽しくかつ充実した練習にはならないと思うのです。個人的にこれをS / N 比と呼んでいます。サウンド(音を出す時間)とナレーション(説明の時間、まあちょっと意味違うけどスルーで)ですね。自己満足的な指標かもしれませんが、自分が演奏する側だと「ゴタクはええから音出させてくれよ」と思うことがあるので、意味はあると信じています。

ところで、S/N比。元ネタはシグナル(S)とノイズ(N)の比率を表した音響用語ですが、もうほとんど聞かなくなりましたねえ。もはやアラ還親爺のダジャレでしか使われないのか・・

トレーナー4号
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2024年09月09日

八幡オケとの出会い

 私が今の楽器に出会ってから20年、八幡オケに入ってから1年半が経ちました。
なので今回は、私が八幡オケに出会った経緯を書きたいと思います。

 八幡オケの存在を知ったきっかけは、祖父母からの情報でした。普段祖父母は音楽にあまり興味をもっていない人ですが、祖父母の家に行く度に、毎週土曜日夜に公民館で大きな楽器を持っていって練習してるよって教えてくれていました。そして1年半が経った頃のある日、突然祖母が何かを思い出したかのように八幡オケの話をしてきました。その時にはもうすでに開演30分前、間に合うかも分からないまま家族で走って八幡市民ホールまで行くことになりました。そこで出会ったのが八幡オケの第58回の定期演奏会でした。

 私は正直市民オケか大学オケかどちらに入るか悩んでいましたが、その時の演奏を聴いて入る決断をしたことを覚えています。

 まだまだ周りと比べると練習量や技術面、経験も足りないですが、これからも様々な壁にぶつかりながら頑張っていきたいと思います。

Vn.K
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2024年08月25日

やっぱり右手もしんどかったびおらの話

 右手の細かい上下運動で音を刻みつづける弦楽器の奏法、トレモロ。
ブルックナーの交響曲にはトレモロがたくさん登場します。今期演奏する交響曲第9番もpppからfffまで様々なパターンで出てくるのですが、とくにヴィオラ譜にトレモロの多いこと!高速稼働しっぱなしの右手がまあ大変。
 
第9番は弦楽器一斉にトレモロから始まります。ブルックナーお得意のパターンですが、次第にトレモロ仲間だと思っていたバイオリンが一抜けしてメロディ弾き始めたりするので、「ヴィオラだけ続行なの?うそーん」などと思いながら必死にシャカシャカしています。
クライマックスで金管がバーンと鳴って盛り上がる場所は、たいがいffかfffでトレモロやっているヴィオラ。疲労で次第にトレモロできているのか、右手がプルプル震えているだけなのかわからなくなってきたり・・・。

 もともとヴィオラは左肩に負荷がかかるので、本番前後に魂が抜けたような顔で肩をぐるぐるしているヴィオラ弾きを目撃したことのある方もいらっしゃるかと思います。今回のブルックナーで右手の動作も加わり、個人的に「最後まで弾ききることができるのか、体力勝負チャレーンジ!!」という心境でおります。
一番不安なのはお休みの少ない3楽章にて、後半クライマックスfffトレモロのあとに、ヴィオラ一番の見せ場がくること。繊細なpp始まり。ぜったい手がぷるぷるする。

 ずいぶん弱音を吐いてしまいましたが、ヴィオラのトレモロはブルックナーの和音を作るうえでとても大切な役割を担っていると思います。やる気みせたいしクライマックスは盛り上げたいので、せいいっぱい背筋のばしてトレモロ弾こうと思っています。
みなさまにはハラハラ、ニコニコしながら見守っていただけるとうれしいです♪

筋トレした方がいいかもと思っているちっちゃいびおら弾き
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2024年08月01日

作曲家のお墓訪問記

ブログ記事も2012年に初めて担当して今回で4回目、なかなかネタが尽きた感があります。なので今回は、これまでに私が訪問した作曲家のお墓をご紹介したいと思います。
まあ、写真を入れてスペースを稼ごうという魂胆です。

マーラー(2010年10月)
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ウィーンで作曲家が眠る墓地と言えば、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス父子などが眠る中央墓地が大変有名ですが、マーラーのお墓は中心街からすこし外れたグリンツィング墓地にあります。マーラーは生前「私の墓を尋ねてくる人は私が誰かを知っているし、そうでない人々にはそれを知ってもらう必要はない」と話していたとかで、墓石には名前のみが刻まれています。なお、グリンツィングはホイリゲ(新酒のワイン酒場)でも有名な地域で、帰りに夕食がてら立ち寄った思い出があります。また本筋とは何ら関係ありませんが、この訪問の直後に私は八幡市民オーケストラに入団しました。


ドヴォルザーク、スメタナ(2014年6月)
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2人のお墓はヴィシェフラド民族墓地にあります。「ヴィシェフラド」といえばスメタナの「わが祖国」第1曲目「高い城」のそれであり、第2曲「モルダウ」の終盤や第6曲「ブラニーク」の最後にも出てきて胸が高鳴るあのテーマが表す場所のことです。現在はヴィシェフラド城の遺構や教会、墓地、公園などがある小高い丘一帯のことを指しているそうです。スメタナの墓石には「我が祖国」の全曲名と、「モルダウ」冒頭の2nd Flの楽譜が描かれていました。
一方、ドヴォルザークのお墓は、国を代表する作曲家ということもあってか、屋根付きの場所に胸像付きで設置されていました。なお、同じ墓地にはカレル・チャペックやアルフォンス・ミュシャのお墓もあります。


ヨハン・セバスチャン・バッハ(2015年6月)
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これはお墓ではなくて教会になります。バッハは、カントル(教会音楽の責任者)としてそのほぼ半生を過ごしたライプツィヒのトーマス教会の祭壇の中央に眠っています。
死後、最初は別の教会に葬られていたようですが、第2次世界大戦でその教会が破壊されてしまったため、1950年にこちらに移されたとのことです。


ロシア5人組とグリンカ、チャイコフスキー(2017年11月)
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初めてビザを取ってロシア(サンクト・ペテルブルグ)に行ったときに訪問しました。
アレクサンドル・ネフスキー大修道院の敷地内のチフヴィン墓地というところにあります。場所を正確に調べて行かなかったことと、キリル文字がろくに読めなかったせいで、ロシア5人組のうちのキュイとリムスキー・コルサコフのお墓はスルーしてしまいました。
お墓の集合写真は左上から時計回りの順にバラキレフ、ボロディン、グリンカ、ムソルグスキーのお墓になります。
グリンカ以外のお墓には音符が刻まれているようなのですが、ボロディンの「だったん人の踊り」以外は分かりませんでした。
またチャイコフスキーのお墓は大きく立派なものとなっていました。


リヒャルト・シュトラウス(2017年11月)
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上のサンクト・ペテルブルク訪問後、日本への帰国便のためにミュンヘンへ移動した際に訪問しました。
ミュンヘンから電車で1時間半ほど南に行ったところにあるガルミッシュ・パルテンキルヒェンという町にそのお墓はあります。
ドイツ最高峰ツークシュピッツェ山のふもとの風光明媚な場所で、リヒャルト・シュトラウスは家族とともに眠っていました。
今、検索してみると、お墓の隅の方に銀のばら(ばらの騎士のゾフィーが持って出てくる)が飾られていた、というネットの記事がちらほら見つかるのですが、この時の写真には写っていなかったので、訪問時はなかったようです。
ちょうど2017年の50回記念演奏会で「英雄の生涯」を演奏した直後で、台風のせいでお客さんの入りは良くなく、盛会とは言いにくい演奏会でしたが、良い演奏ができた(多分)ことを記念して訪問しました。
近くにはRichard Strauss Instituteと銘打った記念館のようなものがあり、入り口にはアルプス交響曲の「登り道(Der Anstieg)」のモチーフが描かれていました。


ネットに情報があふれている時代ですので、ただの2番煎じ感ありありな内容ですが、私の作曲家のお墓訪問記としては以上となります。この夏、新たな訪問先が追加される予定です。

マラオタですが次回演奏会のBにかける
posted by 八幡市民オーケストラ at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記