ちょうど高校2年(昭和34年)のとき、大阪国際フェスティバルの第1回がフェスティバルホールで開催され、誕生したばかりの京都市交響楽団の演奏を初めて聞きました。当時、関西には関西交響楽団(大フィルの前身)と宝塚歌劇団の劇伴用のオケがあっただけです。京響はこじんまりとしてはいたけど勢いがあって、引き締まった演奏だったと記憶しています。大学が京都にあった加減で京響の定期演奏会にはよく足を運びました。ハチャトゥリアンがレオニード・コーガンを伴って京響を指揮した演奏会にも臨場していました。私は少し下手に陣取って座ります。するとちょうど正面にコントラバスのN先生がみえます。自分がコントラバスを弾いているという自覚と意識がだんだんに高くなり、N先生の一挙手一投足を目に焼き付けていきました。演奏していない時の手の組み方や足の置き方等々、演奏の実力以外は完全コピー物となりました。
後年、弟子のひとりとして認めていただけました。その頃、現在の関西フィルの前身のオケ(ヴィエールフィルハーモニー)に呼ばれて、先生と二人してエキストラとして、かなり頻繁に参加し、一緒にプルトを組むことになったので、その折々には沢山のの有意義なアドバイスを受けました。私は我流でコントラバスを始めたこともあり、ボウイングに難点があったのをまず指摘されました。「あんたのボウイングはま〜、治らへんやろな〜」という絶望的な指摘もうけましたが、大部後になって「チョットましになったな〜」というお言葉もいただいて有頂天になったことも記憶に新しいです。
コントラバスでは楽譜の指示より1オクターブ低い音が出ているのですが、何故か自分の耳にはそういう風には聞こえてこず、特に高音域を演奏する場合は、あたかもファルセットで歌っているような気がして弾いています。古典派の楽曲ではチェロとユニゾンで演奏することが多く、例えばモーツァルトのフィガロの結婚序曲やハフナー交響曲の第4楽章など、バイオリンからコントラバスまで全弦楽器が早いパッセージを演奏するところ等は、大きな球が軽々と回転するような軽妙な爽快感が要求されますが、いかに落っこちないように、テンポの足を引っ張らないようにするかが課題ですし、チャイコフスキーの悲愴交響曲のようにひたすら低い音を左手の指の力がなくなり、気が遠くなりそうなほど延々と刻むというのも大事な役割です。さて、旋律楽器としての面目躍如となるのは何と言っても、ベートーベンの第9交響曲の第4楽章のレシタティーボ部分でしょう。また、ドボルザークの新世界交響曲の第2楽章の中間部にあるコントラバスのパートソロはピチカート奏法ですが、ここの部分も鼻高々となるところです。ちょうど良い具合なのはブラームスです、4曲のシンフォニーはどれも適当にむつかしいけれど、歌える旋律が十分に備わっています。いつまで弾き続けられるかはわかりませんが、これからもコントラバスの深い響きの中におぼれて居りたいものです。
82才のコントラバス弾き