2017年08月11日

新世界交響曲に思いを巡らせて

この3月に入団しました。第49回定期演奏会の演奏曲目がドボルザークの交響曲9番ということで、連想的に色々なことに思いを巡らせましたが以下はその一部です。
この交響曲は今から60年前の中学生の頃、まだ、「交響曲第5番‘新世界より’」で呼ばれていました。恐らく私が初めて買ったLPで、演奏はトスカニーニとNBC交響楽団でした。これ以降は何が何でもトスカニーニとNBCの演奏というほどにはまっていきました。友人はラファエル・クーベリックの指揮するLPをもっていました。二人で持ち寄って聴き比べをしました。第2楽章の中間部のコントラバスのピッチカートは言うまでもありませんが、第4楽章126小節から始まるコントラバスのppのピッチカートが友人のプレイヤーではくっきり再現されるのに、自分のプレイヤーでは聞こえなくなってしまって、その度に、ボリュームを上げて聴くなどしたことが思い出されます。
高校に進学して3年間は大阪の朝日ジニア―オケにフルートで参加しました。上には上がいます。2ndフルートに甘んじておりました。3年間のジュニアオケ活動を通じていろんな楽器と接する内に、興味がコントラバスに移っていきました。当時は、オーボエ、ファゴット、コントラバスの人材が渇望されていました。高3のときにコントラバスに転向しました。当時、演奏会に向けシューベルトの未完成交響曲を練習していましたが、オケの全体練習で指揮の朝比奈隆先生から「君、一人で弾いて見なさい」と冒頭のバスパートの演奏を命じられたことがあります。身の縮む思いで弾きわった時の評「迷惑ではないな」という微妙なものでした。
 連想は飛びます。その後、そこそこ弾けるようになり、師匠である西出昌弘先生の紹介で、関西フィルハーモニー管弦楽団の前身であるヴィエールフィルハーモニックにエキストラに行くようになりました。この楽団の指揮者は創設者の宇宿正人さんですが、ワンマンなやり方で、私がエキストラにいきはじめてから2〜3年経た頃に、とうとう団員との仲がこじれてしまい、指揮者が団を離れることになり、その最後の演奏会が新世界交響曲でした。いつも通りの指揮をする指揮者と白けた団員の中での演奏でした。この連想からさらに、団員との関係がこじれてしまった、カール・チェリウスと京都市交響楽団のお別れ演奏会を聴きに行ったことが思い出されました。演奏する方の思いとは別に聴く方の思いは聞こえない音を聞いてしまったり、凡庸に聞こえたり、名演奏に聞こえたりします。内紛のことなど何も知らなければ聴く方は何も感じません。演奏者は何らかの形で指揮者を裏切ることができても、一方で決して作曲者を裏切ること出来ないというところに一つの答えがあるのかもしれません。「どんな音が出したいですか?」という「はるもにい」の問いかけと併せて、演奏とはどうあるべきかを深く考えさせられます。
日浦啓全
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2017年07月22日

発端はへヴィーメタル

今回は2ndVnの担当です。私は八幡オケ入団し4年目になりました。
八幡オケには様々な楽器を演奏される方がいらっしゃいますが、皆さん楽器を始めるきっかけは何だったでしょうか?
管・打楽器やBassの方は、吹奏楽がきっかけという方が多いと思います。弦楽器に関しては、子供の頃に習っていた(習わされていた?)、学校のオーケストラ部で楽器を始めた、大学でオケを始めた、大人になって始めたといったように時期もきっかけも様々のようです。

私は大学オケからヴァイオリンを始めたのですが、発端は「へヴィーメタル」でした。
というのも兄の影響で小学生の頃からロックに興味を持ち、中学生になるとロック仲間とコピーバンドを始めるため、小遣いを貯めてエレキギターを購入しました。当時はメンバー全員が楽器初心者ということもあり、ボン・ジョヴィようなポップロック(?)から始め、レベルが上がるにつれラットやモトリー・クルーといったLAメタルを経て、アイアンメイデン、メタリカ、メガデスといったハードロック・へヴィーメタルと呼ばれるジャンルに次々と移行していきました。(どんな曲かを知りたい方はYOUTUBEで検索してみて下さい)
やはりへヴィーメタルでのギターの醍醐味と言えば「速弾き」ということで、色々な難曲に挑戦していきましたが、
その中で出会ったのが「イングヴェイ・マルムスティーン」というギタリストでした。

彼は近年はエレキギターとオーケストラの組曲を作り、日本でも新日本フィルハーモニー交響楽団と演奏会を行っているので、ご存じの方も多いかも知れませんが、当時はアルカトラスいうバンドでメジャーデビューしたばかりの新進気鋭の若いプレーヤーでした。その後、ライジングフォースというバンドを結成してバンド活動を始めますが、単なる速弾きではなく、旋律がメロディアスであることから大ファンになり、当時は毎日必死に練習をしていました。

そんな時、とある雑誌の記事で、彼はパガニーニに影響され、ギターでパガニーニ(カプリース5番)を演奏していたとの情報を得て早速CDを買いに行きました。それが初めて購入したクラッシックCDであり、ヴァイオリンの音色に魅了されたCDでもあります。
その後、エレキギターでパガニーニを弾きこなそうと練習しておりましたが、「どうせやるならヴァイオリンでやろう」と思い立ち、大学オケでヴァイオリンを始めたのがヴァイオリンを始めるきっかけでした。

[写真1] 記事が載っていた雑誌の表紙、(1990年発刊です・・・)写真1.jpg

[写真2] 雑誌中の1ページ、このページが無ければヴァイオリンを弾いていなかったかも
写真2.jpg

大学オケ時はへヴィメタの癖でヘッドバンキング(頭を前後に振りながら演奏すること)して指揮者に「お前のはヴァイオリンじゃない!」と良く怒られていましたが、就職後は転勤等もあり、楽器に触る機会もめっきり減っておりました。
八幡オケに入団後は、良い雰囲気の中、改めてヴァイオリンの楽しさに気づき、毎週楽しく楽器を弾かせて頂いております。ただ、未だに独学でヴァイオリンを弾いているので、上達は亀並みに遅く(むしろ年齢と共に悪化?)、元々ヴァイオリンを始めるきっかけであったパガニーニはいつ演奏できるようになるのやら、焦らずに気長に楽器を続けたいと思います。
(流石に、ヘッドバンキングはしていないつもりですが・・・、してませんよね?)
2ndVn / ブランクながい
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2017年07月09日

人はなぜBばかりをまとめたがるのか

 次回演奏会の選曲会議の議事録を眺めて、「ブラームス、次こそブラームス、ブラームスそろそろ本気出す時やで…」と念を送りながら、ふと思います。オーケストラを始めて20年ほどたちますが、わたしが弾いたブラームスの交響曲は2番と3番の2曲のみ。「ほう、ということはあと20年オケを続ければなんとかいけそうやな、それはそれでなかなかええなぁ」とバカ丸出しの理論にうなずきつつ、「ブラームスはやっぱええわぁ…」と口に出していると、驚くべきことに次にわたしの口から出たのは「…ベートーヴェンもええよな」の一言。なぜだ、なぜこのタイミングで、解せぬ。

前置きが長くなったのですが、ここからが今回の本題です。ブラームス、ベートーヴェンときたら、3Bですよ、3B。しかし何を思ったのかあと1人が思い出せず、「B、B、えーっと、ブルックナー?ベルリオーズ?…ちがうな、バルトーク?ボロディン?いや、たぶんどうみてもちがうやろ、ググろ!」と典型的ミレニアル世代の行動で解決しようとするわたし。結果、Google先生がおっしゃるには、申し訳ありません、バッハでした、なんたる失態!たぶんその人Bの中でも1番のBやで!しかも3Bってドイツでまとめるらしい。わたしがあげた人、だれもドイツ人ちゃうやん…。

 それにしてもなぜBばかりを3人まとめるのか、ほかの頭文字ではないのかしら…と考えてみたのですが、これができない。モーツァルト、メンデルスゾーン、マーラーの3Mくらいでしょうか。「でもこれは完全に共通点がMなだけやしなあ」とぼやいていて気付きました。Bです。人はBだからまとめたがるのです。これは盲点でした。

 何を言っているのだと思われるでしょう。そうでしょうそうでしょう、でも事実なんです。わたしがかつて通っていた高校は、京都にある仏教系女子校だったのですが、近隣男子校生たちからの評価が「ブス」「馬鹿」「仏教」の3B。ひどい、いくらなんでもひどいやろ、その評価。かわいい子もきれいな子もいましたよ。え?それはごく一部で、相対的にブスが多かったのでは?ですって!?いやいやそんなことはなかったはず。あのころの写真を見るとわたしも友だちも「顔パンパンやん…、目も肉で埋もれてるやん…」って呆然とするのは気のせい気のせい。馬鹿についても、これはわたしに関しては何とも言えませんが、かしこもおったで!そう考えると、この3Bの中で「仏教」のみが事実であり、「ブス」と「馬鹿」の2つは正確性を欠くため、無理やりこじつけた3Bであると言えるでしょう。
 次は地場産3B。場所は京都や大阪からは離れるのですが、滋賀県には地場産業が9つあり、彦根市にはそのうち3つがあります。それが3Bと言われるもので、「仏壇」「ブラジャー」「バルブ」。みなさんご存知でした?いやあ、わたしも数年前まで知らなかったんですけどね。仏壇は説明するまでもなくあの仏壇。ブラジャーが意味するのは、ファンデーションの縫製のことなんです。そしてバルブ、水が通るアレです。でもこれちょっと疑問に思いません?バルブは“valve”と綴るので、Bじゃないんですよ。ローマ字でってことで3B入りしているらしいです。しかも中核をなす存在です、本当はBやないのに…。またしても無理くり3B。

 と、3Bが3つでたところで言えることは、やはり人はBを見ると3つでまとめたがるということでしょう。なんか大発見をした気分です。ふう、長々と書いてしまいましたが、ブラームスに思いを馳せつつ、それでは失礼します(ブラームスは交響曲だけやなくて、弦楽6重奏もチェロソナタもええんやで)。

Vc 横線増えると楽譜が読めぬ
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2017年06月25日

トロンボーン吹きが「??」になるトロンボーンの話

⑴行き過ぎ?な「おこだわり」

トロンボーンの何が良いって、そりゃ私にとってはビンビン鳴るところです(トロンボーン奏者によって異論あり)。ちょっと昔のF1に例えれば、安定のアラン・プロストより、無冠の帝王ナイジェル・マンセルを崇拝するが如しです。限界ギリギリのシビレるようなドライブ!!時にはスタートで軽くホイルスピンするが如く音の頭が「ガッ・・・」といってほしい時ってあるじゃないですか(日本車にありがちな「横滑り防止装置」などつまらん)。もちろん音が小さくてソフトな時でも、とにかく鳴りがいいに越したことはありません。

よりビンビンに鳴らす為に奏法にも磨きをかけるべきなのですが、楽器そのものもよりビンビンにしたいものです。

ここで本来のトロンボーンの形をよく思い浮かべて下さい。最近でこそバルブが1個(バストロは2個の場合多し)ついている楽器が主流ですが、本来はスライドで音程を取るので、他の金管楽器なら必ずバルブとそれに繋がる管がいくつかあるところ、そんなものは「ない」のがもともとの姿(何も付いてない普通のトロンボーンはテナー、一方バストロンボーンじゃないのにバルブが付いてる楽器を俗にテナーバスなどと日本では呼びますので、バルブなし無印の「正に」テナートロンボーンの事をはっきり区別するため、私は勝手に「どテナー」と呼んでます=写真1)。IMG_0315.JPG
とにかく「鳴ってない管などは楽器にくっつけない」ことが理想なのです(ホルンもトランペットもチューバもバルブを全部押す音を出す時以外、ほとんどの間「全く鳴ってない管が響きを邪魔する単なる重りとして楽器にくっついている」わけです。これはいけてません)。

さらに楽器を支える支柱とスライド部分の管が二重になるのは必要最低限仕方がないとして、それ以外のパーツは出来るだけ「何にもないに越したことはない」んだろうと考えています。そんな理由で私はバルブが1つもついていない楽器もついつい買ってしまって持っていますが、通常そういった「どテナー」は前後の重さのバランスを取るため、後方のチューニング管の支柱に重り(カウンターウェイト)が付いてるところ、これも取り払って余計な重量物は出来るだけ無くすようにしています(外したウェイトの写真をここで載せたかったのですが、ずっとつけてなかったので紛失してしまったようです=写真2)。IMG_0314.JPG
またスライドの先には「石突き」と呼ばれるゴムが付いてるんですが(お休み中、ずっと手で支えているのは大変なので、ここを床に付けています)、これも本番を中心にしばしば外しています。そうして楽器全体がよりビンビン鳴って、音を止めても手や唇にその響きが「ズゥ〜ン」と残るのが何より気持ち良く感じています。

ちょっと方向が違いますが、このプロの方も同類でしょうか?
http://yoshikawa.sblo.jp/article/62669015.html

しかしまことに遺憾ながら、現代のオケでは、機能的・音域的にトロンボーンでも最低1つのバルブ(及びそれに繋がる管)が必要な時代です。比較的音域が高く狭い、またアクションも激しくない古典的な曲の1stトロンボーンなどを任された場合は、前出のバルブ無し「どテナー」を使いますが、なかなか毎度そればかりというわけにもいきません。しかし1回の演奏会で数ヶ所しか使わないバルブとそれに繋がる管(以下、合わせて「バルブセクション」)を搭載することで、当然、かなり重量が増える上、管がグニャグニャ曲がってしまったり、本体とバルブセクションを繋いで支える部分をあちこち作ることになったりするので、そこら中で響きを抑えられてしまい、理想から離れていってしまいます。

しかし世の中賢い方がいるモンで、バルブの中で出来るだけ小さくクネクネしないようにすれば、抵抗感がなくなってバルブがない楽器 に近い「オープンな響き」が得られるとして、より直線的に切り替え出来るようなバルブが開発され、だんだん普及してきました。私としてはこの流れに乗ってバルブ付きの楽器は、いわゆる「セイヤーバルブ」とか最近の言い方で言えば「アキシャルフローバルブ」いうものが搭載されたものを使っています。

しかしここ数年、世界のトッププロは「適度な抵抗感」を求めて、再びホルンと同じような普通のロータリーバルブが主流に戻りつつあるようです(軟弱者め!!)。こうなってくるとひねくれ者の私としては逆に、「いくら直線的なバルブでも、バルブなしの楽器には及ばないはず」であるから世間のトレンドとは反対に、さらにもっとオープンであるべきと、ついに楽器を改造するに至りました。目の付けどころは、バルブセクションと本体を繋ぐパーツです。良く見ると2ヶ所でバルブを押しても押さなくても通る本体の管(主管)に直接繋がってしまっています。それでは主管の響きが抑えられてしまう。どうにかして取っ払いたい・・・

そこで2ヶ月ほど前、最新の色々な楽器の形状からヒントを得て、バルブセクションと本体を繋ぐパーツを工夫して直接主管には繋がず互いの支柱同士を束ねるような形にして支えることで、この2ヶ所の主管とのジョイント部分を省略する「改造」を実施しました(写真3〜6)。IMG_0313.JPGIMG_0312.JPGIMG_0311.JPGIMG_0310.JPG
もはや主管にはバルブ以外には「どテナー」と同じ支柱しか繋がっていません(バルブセクションは支柱同士で間接的に支えられている)。セイヤーバルブ付きの楽器でこの形のものは多分市販されていません(2ヶ所中1ヶ所だけ同じ仕組みのものはあり)。

で、音は良くなったのか?と言えば「微妙??」です。
同じトロンボーン吹きでもここまでやっちゃう人はちょっといないと思います。
でも気分いいです。まあ所詮自己満足です。
良いんです。趣味だから・・・



追伸
そう言えばマウスピースもイジってました(写真7)IMG_0309.JPG

うざくま
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2017年06月10日

リヒャルト・シュトラウス

次回演奏会のメイン曲は「英雄の生涯」ですが、皆さんリヒャルト・シュトラウスってご存知ですか?
彼は、かの有名なワルツ王、ヨハン・シュトラウスの親戚!

…ではありません。

R・シュトラウスは1864年ドイツ南部のミュンヘン(当時バイエルン王国の首都)生まれの指揮者・作曲家です。同年代の作曲家では1858年生まれのプッチーニ、60年のマーラー、62年のドビュッシーなどがいますが、1825年生まれのヨハン・シュトラウス二世とは何の関係もないそうです。
父フランツはミュンヘン宮廷管弦楽団の第1ホルン奏者。モーツァルトなどの古典音楽派で強烈なアンチ・ワグネリアン(ワーグナー嫌い)を公言していましたが、それにもかかわらず彼はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の初演で主席奏者を務めており、ワーグナー自身も認める程の腕前だったのです。彼は他にもヴァイオリン、ギター、クラリネットなど様々な楽器を演奏できたそうです。
母ヨゼファはビール醸造業プジョール家の娘ですが、プジョールは19世紀の終わり頃にはフランスやアメリカまで輸出する大企業になっています。

シュトラウスは音楽万能の父と裕福な母家という恵まれた家系に生まれたわけですね。父フランツの影響(とコネ?)でピアノは4才から、ヴァイオリンは8才、作曲も11才から、それぞれミュンヘン宮廷管弦楽団のメンバーから習っており、家でもフランツが同僚としょっちゅう弦楽四重奏をしていたり、フランツのピアノ伴奏をしたり・・と至れり尽くせりの音楽環境だったようです。
このような環境の中で、シュトラウスは7才の頃にはすでに「クリスマス・ソング」という曲を作曲しており、17才の1881年には交響曲ニ短調が、翌年には「13管楽器のためのセレナード」が初演され好評を博し、20才の1884年にはマイニンゲン宮廷管弦楽団で指揮者デビューも果たしたのです。
その後マイニンゲン宮廷管弦楽団、ミュンヘン宮廷歌劇場、ワイマール宮廷歌劇場、再度ミュンヘン宮廷歌劇場と各地の歌劇場のポストを渡り歩き、1998年にベルリン宮廷歌劇場の第一カペルマイスターに就任。この頃には既に交響詩「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ツァラトゥストラはかく語り」等を発表しており音楽家としてドイツ随一と言える程名を上げていますが、その後20年のベルリン時代では歌劇「サロメ」や「バラの騎士」でさらに大成功しています。書けば当たるヒットメーカーで、現在で言えば秋○康と言ったところでしょうか!?

交響詩「英雄の生涯」はベルリンに来た1998年に作曲されており、ベートーヴェンの第3番英雄交響曲を意識して書かれたものですが、この作品の「英雄」とはシュトラウス自身のことだそうです。
この曲は冒頭で<英雄>(=シュトラウス)のテーマが登場し、その後、英雄の足を引っ張ろうとする<英雄の敵>(=ミュンヘン時代にシュトラウスと敵対した歌手やオーケストラや批評家たち!)の描写や、独奏ヴァイオリンによる<英雄の妻>(=シュトラウスの妻、パウリーネ)の愛の歌が演奏され、さらには<英雄の業績>としてシュトラウスの過去の作品の主題がオンパレードで登場するのです。
ベートーヴェンの名曲をモデルにするだけでも大胆だと思いますが、自分をモデルにここまでするなんて、シュトラウスはものすごい自信家だったのかもしれませんね。

そんな背景を調べつつ、譜読みに苦労する今日このごろ。間違ってもウインナーワルツにはならないようにしたいものです。
Vn新人A
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2017年06月04日

楽譜と台本

第49回定期、無事終了しました。ウチとしてはプログラムがいつもより直球(ていうか普通)だったためか、いつもよりたくさんのお客さんが来てくださいました。この場を借りてお礼申し上げます。運営側としてはいつも通りやっておけばまあ大丈夫という自信と、イレギュラーなことが発生した場合はどうしようかという不安が半々な一日なのですが、まあ大きな不具合もなく終わることができてとりあえずホッとしています。個人的には今回も楽しい音楽の時間を満喫してたいへん満足でした。この満足感が無ければ運営なんてやってられん・・とか書いたらあかんですね。(web担当U嬢が「運営側の立場から書いてください」と言うので・・)

話は変わりますが、演劇における台本と音楽における楽譜って役割が似てるような気がします。両方ともそれぞれの出演者が発する台詞(= 音)と簡単な場面設定が時系列に沿って書かれています。さらに言えば、それを単純になぞるだけでは演目として成り立たないというところも類似点を感じます。逆に少し違う点は、台本はほぼ文字(言語)情報であるのに対し、楽譜は大部分が記号化されていることでしょうか。言語情報は感情やニュアンスを掴みやすいですが、記号化された音符はそうでもない。加えて、言語も記号も受け取り方は人それぞれで、記号化されている分、楽譜のほうが振れ幅が大きいのも頷けます。

ということで、記号化された音符を音にするとき、たとえば台本の台詞を発するのと同様に、そこに必ず感情や情景があることを忘れないようにしたいなと思うのです。記号化された音符を記号の定義のみで音にするとおそろしく無味乾燥な音の羅列ができあがることは、コンピュータに楽譜を入力して「演奏」させてみればわかります。某有名音楽大学の学生オケの演奏でもそうなっているのを聴いたことがあります。これはある意味、演奏技術が素晴らしく均一であることの証左でもあるのですが。(^^;;

さて、次回はシュトラウスの交響詩に取り組みます。40分も自分のことばかり話し続けるオヤジに成りきるのはかなり難しいと思いますが、そこにどのような思い出や誇張や後悔や自慢があるのかできる限り掘り下げていきたいと考えています。
いいんちょU
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2017年05月13日

団内トレーナーのお仕事

いよいよ八幡オケの定期演奏会まで1週間ほどとなりました。
いつも演奏会直前のこのブログは団内トレーナーが持ち回りで担当することになっており、今回も団内トレーナーの一人である私が担当させていただきます。

私はこれまでにも何度か、当団の団内トレーナーに関してこのブログで触れてきましたが、今回あらためて、当団の「団内トレーナーのお仕事」について書いてみたいと思います。

・八幡オケの団内トレーナーとは?
八幡オケは、特定の音楽監督や常任指揮者などを置かず、何人かのプロの指揮者を交替で客演にお呼びし、一回の演奏会につき数回練習に来て頂きますが、本番の指揮者が来られない普段の練習では、アマチュアである我々団内トレーナー(現時点4名)が指揮者の場所に立って練習を進めています。
本番の指揮者以外に、プロの音楽家にトレーナーとして常時練習を見て頂く団体もあるでしょうし、我々もプロの客演弦トレーナーに数ヶ月に一度ご指導いただきますが、普段の練習に関しては、敢えて団内トレーナー制を続けています。仕上がるまで時間がかかり、またトレーナーを始め中心となる団員に大きな負担のかかるしんどいシステムではありますが、同じアマチュアである団内トレーナーと一緒に練習を進めていくことで、団員が受身にならず、自ら考え共に音楽を創り上げていくことができており、少なくともこれまではうまく機能している優れた仕組みだと考えます。

・毎週の練習
八幡オケは原則毎週土曜日の晩に練習しており、練習のない土曜日は年に数回しかありません。このうち、客演指揮者が来られる数回以外の合奏は団内トレーナーが練習をつけており、その数、年間数十回に及びます。複数のトレーナーで分担するので、各トレーナーが概ね一曲ずつ担当しますが、まずは曲を誰よりも良く理解をするためにスコアを精読し、更に練習のある土曜日は「今日はどのような練習をしようか、どこを重点的にやろうか」などと、スコアを見ながら前回の練習の録画を見ながら(聴きながら)時間をかけて予習をします。また、よりスムーズないい演奏が出来るよう、指揮の練習もします。曲をさらうこともあれば、メトロノームに合わせて基礎練習なんてこともします。私の場合、土曜の午後はこの予習に数時間を費やします。

また、合奏の練習計画(各曲の時間配分など)もトレーナーが協議して決めています。担当の曲だけでなく、他の曲の進捗度も考慮しつつ全体最適を考えながら決めることになります。

・演奏への参加
トレーナーをやっている間は、当然ながら楽器を演奏できません。トレーナー担当の曲は、普段の練習で楽器を演奏できないことから「降り番」となるケースが多くなります。降り番にならない場合でも、客演指揮者の練習時しか演奏できないため、練習不足となり本人のみならず周りもストレスが溜まることも。自分の楽器の演奏(本業)を犠牲にしてまでトレーナーをやっているわけです。

・曲目紹介の執筆
トレーナーには他にも、演奏会のプログラムに載せる曲目紹介の執筆という仕事があります。これはこれで結構な負担になります。「トレーナー担当の曲はよく知っているのだから、難なく書けるはずだろう!」と言われるかもしれませんが、そう簡単なものでもありません。有名な曲なら関連書籍やネット情報も多く入手可能ですが、マイナーな曲などは文献を探すのも一苦労だったりします。他の文献をそのまま使う訳にもいかないので、あくまで参考にしつつ、自分のオリジナリティを出そうなどと考えると、結構な時間がかかったりします。ここで改めて得た知識を合奏で活用できたりもするので、やはりトレーナーが担当するのがいいのだろうなとも思いつつ。

このように団内トレーナーは負担が大きく、ギャラもらいたいぐらいやなあ、などと思うこともないわけではありませんが、それでは逆に、団内トレーナーをやっていて何かいいことはあるのか?と問われると…

指揮をする(ある程度自分の好きなように音楽を作ることが出来る)喜びを味わえること、多くの団員と音楽・演奏に関するやり取りを通じて密に関われること、そしてオケの音楽をより良いものにしていくプロセスに深く関与出来ること、といったところでしょうか。

今回、団内トレーナーとしての練習は5月6日で終了し、あとは客演指揮者と、もちろん演奏する団員たちに委ねることになります。日頃の練習の成果を存分に発揮し、お客様に十分楽しんで頂けるよう頑張りますので、ご来場お待ちしています!
新世界担当
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2017年04月29日

ロビコン

第49回定期演奏会まで1ヶ月を切りました。
本番でのより良い演奏を目指してラストスパート!という感じです。
そして本番直前のロビーコンサートの準備も本格的になりました。

演奏会当日、早くホールに到着されたお客様がホール開場まで立ったまま並んでずっと待ってくださっているのが申し訳なくて、お待たせしている間、少しでも楽しんでもらおう(時間を潰してもらおう?!w)とロビーでアンサンブル演奏をさせてもらったのが八幡市民オケ定期演奏会でのロビーコンサート(略してロビコン)の最初です。
ロビコンを実施しなかった演奏会もありましたが、最近はほぼ毎回1、2グループが行っています。これらの出演者は、団内で順番が決められているとか、くじ引きで決めるとかではなく、全て自主的出演者です。プログラムもこの出演者たちが自由に選曲しています。
私は定期演奏会に関連する選曲での木管五重奏で既に2,3回出演させていただいてます。

実は初ロビコン出演は、私を含む木管五重奏のグループでした(たぶんそのはず)。
で、はてさてその一番最初はいつだったかなぁ・・・って、う〜ん、正確に思い出せない。
創立25周年第30回定期演奏会で「オケの誕生祝い」として木管5重奏の「ハッピーバースデー変奏曲」を演奏したはずなので(これが最初だったっけ?)、ロビコンは少なくともかれこれ10年は続いていることになります。

今では当たり前のようにロビーで演奏していますが、一番始めは分からないことだらけでいろいろ苦労しました。
ホール側からロビコンOKの返事はいただいたものの、「小ホールなど他の施設を利用される人たちの動線を妨げないように」という注意が。
ご存知の方も多いと思いますが、八幡市文化センターには大ホールの他に2・3階に会議室や練習室、4階に小ホールなどが有り、大ホールロビーには展示室や喫茶室、二人の兵馬俑とたくさんの柱もあります。
ロビー内、演奏する位置次第で、センターを利用される方々に迷惑がかかるかもしれません。それは防がないと!
演奏位置としては、左右どちらかの兵馬俑の前以外は考えにくかったのですが、さぁどうしたもんじゃろの?
ホールに向かって右だと展示室入り口を塞ぎそうだし、左だと喫茶室や小ホール等へのエレベーターへの動線を妨げそう。柱もたくさんあって演奏立ち位置によっては並んでいる開場待ちのお客様と向かい合えないし・・・
検討の結果、当時展示室で催事をされていた方にお許しをいただいた上で(その節はありがとうございました!)、展示室入り口の手前、右の兵馬俑前にスペースを取ることができました。
が、他にも問題が。
それは響きです。ロビーにはホールのような演奏のための音響設計はされていません。
うっかり楽譜どおりにf(フォルテ)で演奏してしまうと音が響きすぎて何の曲なのか全く分からなくなってしまうという事態に陥ってしまうため、音量の加減には大変難儀しました。

そんなこんな他にもいろんな苦労があったわけですが、ロビコンに出ない団員からのたくさんの理解と協力もあって無事に回を重ね、今では定期演奏会本番直前ロビコンがほぼ恒例となっていることをうれしく感じる今日この頃です。

今回の第49回定期演奏会でもロビコンを行う予定です。
どんな曲が登場するかお楽しみに!!


おざQ
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2017年04月17日

新世界 コントラバス4和音

新世界の第2楽章、イングリッシュホルンの旋律が非常に有名ですが、実はコントラバスにも隠れた見せ場があります。それは第2楽章のラストに弱音で響く4和音ですが、全てコントラバスによって演奏されます。
様々な楽曲に出てくる見せ場の中でも数少ない、チームワークが試される箇所です。それぞれどのような役割を担っているのか、各パートごとに説明していきます。

Des (低)
最低音を担当。和音の基礎の土台となるため、音程のずれはもちろん、かすれた音は許されない。本番でも安定した音が出せるメンタルが要求される。
主に4プルト、小編成オケでは最後尾に座る方が担当する。

Des (高)
1オクターブ上のDesを担当。Des(低)より音量は必要ないが、音程のずれは周囲にすぐ分かってしまうので、間違ってもすぐに修正出来る能力があると有利。
主に3プルト、小編成オケでは後ろから2番目の方が担当する。

As
Des(低)の5度上、Des(高)の4度下を担当。音量はそれほど必要ないが、唯一鳴らす弦が2つ考えられるパート。どちらの弦で弾くかで、その方のセンスが分かってしまう。
主に2プルト、小編成オケでは次席奏者が担当する。

F
Des(高)の長3度上を担当。1番高い音のため音程が取りづらい。和音の最後の味付けを決める第3音の役割のため、責任は1番重い。後ろに分かりやすい合図を送ることも要求される。
主に1プルト、首席奏者は必ずこの音を担当する。

それぞれの役割を知った上で聴くと、相当面白いと思います。本番では誰がどのパートを担当しているのか、乞うご期待下さい。
橋本 怜補
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2017年04月02日

マウスピース選び

 私は木工と刃物店の店員という二つの立場から刃物に関わっている。
 刃物の生命は第一に「切れ味」だ。むろん研ぎの如何によって左右されはするが、「鋼の硬さと粘り強さ」は大きな要素となる。ところが硬さや粘りは見た目で判るものではないので、多くのメーカーは「〇〇鋼を使用」などの情報を謳い文句にする。
 ところが鋼は鍛え方と熱処理次第で、硬くも柔らかくも、粘くも脆くもなる。ちょうど米を炊く際、コシヒカリであろうがササニシキであろうが、炊き方次第で硬くも柔らかくもなるのと同じで、作り方次第でどうにでもなる。したがって「〇〇鋼」なら必ずよく切れる、とは絶対に言えることではない。

 以前NHKで、あるメーカーが「うちの庖丁は〇〇鋼で一番よく切れる。この鋼はうちだけだ」という困ったことを言った。しばらくして「〇〇ブランドの庖丁をくれ、〇〇鋼のが一番切れるのだろ」というお客さんがみえた。ところが、その鋼は他のメーカーにもあるし、鋼種と切れ味に直接の関係はないのは先述の通り。その庖丁は悪い物ではないが一番いいというほどのものでもないことは、研いだ結果で確認できている。それでそのことを丁寧に説明したのだが、「でもテレビが、NHKがそう言っていた」と理解が得られなかった。「なら、NHKで買いなはれ」とまでは言わなかったが、思い込みに囚われてしまうと物の本当の姿を知る機会を失うのだなと思った。

 さてトランペットのマウスピース選びにも、世間にそういう情報があるようだ。ボア(スロート)の太いもののほうが太い音になるとか、大口径のを使いこなすのが上級者であるとか、そういう情報に囚われている人がいるらしい。
 しかし人はそれぞれ歯も唇も違う、また息の使い方も唇とのバランスも、何もかもが違う。マウスピースはそういう個人の特徴と、用途に合わせて選ぶべきものであって、いわば陸上選手が自分の足に合った靴を選ぶのと同じだ。大きい靴を履いているのが良い選手、というような馬鹿な話はない。
 自分にとって大き過ぎる(またはその逆の)ボアや口径はといったものは、望む結果が得られないだけでなく、練習をも無駄にするものでもある。むしろ悪い癖のもとにもなり得るものだ。
 楽器のカタログなどに書いてあることでも、意味のない情報であることが多い。「輝かしい音を出す」とあっても、人によっては響きが少なくなったりして逆にくすんだ音になることもある。結局は、実際に試さなければ本当のことは絶対にわからないということだろう。そういう文言は回り道をさせるだけで、百害あって一利なしといってよい。
 やはり自分の感覚や周りの耳を頼って試していく以外に、良いマウスピースを選ぶ方法はないと思う。

 近年は情報過剰といってよい社会であるが、刃物であれ楽器であれ、そういう情報に呑みこまれることなく素直な目で選べるようでありたいものだ、と私は考えている。さあ、後は練習だ。

Tp 山田潤
posted by 八幡市民オーケストラ at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記