2020年06月27日

超絶技巧な伴奏音型

次回の定期演奏会で取り上げるワーグナーのタンホイザー序曲、弦楽器にとって演奏困難な曲のうちの1つに数えられます。理由が「嫌がらせなのか?」というほどの執拗な16分音符の伴奏音型です。
ヴァイオリンは終盤に登場する16分音符がまさにそれです。音楽が静かになってもその音型は崩れることはありません。楽譜を碁盤に例えるなら、黒駒の圧倒的勝利でしょう。ただ大事なのは管楽器の旋律であって、ヴァイオリンは超絶技巧ではあるが大事ではないことです。
ヴィオラとチェロも16分音符ではありませんが、後半に執拗な3連符のオンパレードが登場します。因みにコントラバスはほぼ管楽器扱いです。
大事な旋律と超絶技巧な伴奏が融合したタンホイザー序曲。乞うご期待下さい。
橋本怜補
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2020年06月20日

拍と拍の間(あいだ)

毎朝、会社で始業前にラジオ体操をする。若いころは「こんなヤワな体操、役に立つのか?」とバカにしていたが、今はキッチリやるとけっこうきつい。そして、ラジオ体操をした日は、なんとなく体の動きが軽くなるような気がするので、出来るだけ参加するようにしている。
体操をしながらまわりを見ていると、一所懸命にやっている人は案外少なく、適当にふにゃふにゃと体を動かしている人や独自の動きをつけている人など、いろんな人がいて面白い。そして驚くべきことに、音楽と全く無関係なテンポやリズムで体を動かしている人のなんと多いことか。ラジオ体操のピアニストはその動きを想像して、体を伸ばして止めるところ、回転運動するところ、跳躍運動するところなどを、スタッカートで音を停めたり加速度感を出したり少しためてみたりと、いろいろ工夫して演奏していると思うのだが、そんなピアニストの努力の甲斐もなく1拍以上ずれていても平気で体操している人もいる。テキトウに体操している人は、ピアノと無関係に体を動かすことに何の違和感を持たないのであろうか。私としてはピアノに合わさずに体を動かす方が難しいと思うのだが。

ところで、ラジオ体操をやっている中で、つい最近気がついたことがある。それは、『体を動かしだすのは1拍目からではない。1拍目の前にすでに動かし始めている』ということだ。そんなのあたりまえだという人もいるかもしれないが、私はそれに気づいたときちょっとした衝撃を受けた。アウフタクトがある音楽ではない。つまり4拍子のちょうど4拍目から動かし始めているのではない。4拍目の直後の適当なところから体を動かし始めて、1拍目の瞬間には手足は所定の位置に到達、あるいは通過している。そして1拍目の直後からまた動かし始めて2拍目の瞬間に所定の位置に到達する。つまり常に拍の前からその拍に向かって動きがあるということだ。
我々が楽器を演奏する時に使用する楽譜では、音符はその瞬間以降どういう音を出すかということを表している。例えば4拍子の曲で1小節に四分音符が4つ並んでいる場合、1拍目の頭から音が始まり、四分音符の分だけ音を持続して2拍目の直前で音を切り、2拍目の頭からまた音を出す。つまり音符の前のことについては表示されていない(前打音を除いて)。この現象だけ捉えると体操の体の動きとは全く逆なのだ。
しかしこの体操の動きを参考にして『音楽の流れ』という観点から考えてみると、その拍の音が鳴る前の時点からすでに音楽は始まっているということがあらためて理解できる。例えば曲の冒頭、音が鳴るその拍の前からすでに演奏者の心の中に、そして体にも動きが始まっている。動きが始まる時点は曲想によって違い、それはちょうど1拍前であるかもしれないし、曲によっては明確に1拍前ではない曖昧な時点かもしれない。
次に音が鳴り始めたあとのことを考えてみる。音符という記号では、その音自体の音程や長さ、強さ、ニュアンスだけを表しているが、実際の演奏ではそのような『その音自体をどう鳴らしてどう終わらすか』ということと同時に、『次の音、次の拍に向かってどう動くか、どう流れるか』ということを心の中や体の動きでやっている。つまり楽譜には一見記載されていないような拍と拍の間、音符と音符の間にあるものを読み解きながら、演奏をすすめてゆくのである。
それでは、次の拍や音にどのような動きで向かうかということを決める音楽的要素とは何か。思いつくものをいくつか挙げてみよう。

1 拍子(beat) 
何拍子の何拍目から何拍目か。
強拍か、弱拍か。シンコペーションかどうか。
2 音程(interval)
 上昇か、下降か。
音程の幅は小さいか、あるいは大きく跳躍するか。半音には特に注意。
3 強弱(dynamics) 
強弱の変化はあるか。『subit p』など急激な変化には特に注意。
4 和声(harmony)
 和声は変わるか。それは例えばドミナントからトニックか。

などなど、楽譜をパッと見てわかることもあるが、一見しただけではわかりにくいこともあるので、事前の勉強も必要となってくる。
ただ、ここまで考えをすすめてみると、単に『音楽の基本要素』を並べただけみたいになってしまった。トレーナーのAn様に「だから、それは毎週練習で言ってることやないですか」と指摘されそうである。そう、このような基本的音楽要素が実は、拍と拍の間、音と音の間にこそ隠れているということは毎週の練習の中で「準備」や「ブレス」などという言葉でいつも指導を受けていることなのである。今回それを毎日のラジオ体操で改めて体感したということだ。そういえば、先ほどの体操の動きは、指揮者の振るタクトの動きに似ている。

我々アマチュアは、ともすれば必死で音符を追いかけて音程通り、リズム通りに音を出すということに終始してしまいそうになるが、音符や拍の上にあるものだけではなく、拍と拍の間にあるものを感じ取って音楽をすすめて行くことが、実はとても大切なのではないかと改めて思う。
音楽が始まってしまったら、そのあとは惰性で演奏してしまっていないだろうか。長く伸ばす音を出したあと何の方向性も無く、ただ音を出し続けていないだろうか。休符ではそこにある拍感や次に向かうエネルギーを感じずに本当に休んでしまっていないだろうか。そんなことを反省しつつ、明日もまたラジオ体操で体を動かそう。できれば、より音楽的に。

クラのゆうすけ
posted by 八幡市民オーケストラ at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年06月13日

楽器を始めるきっかけ

新型コロナウィルスによる自粛が解禁となりました。

改めて新型コロナウィルスに感染された方やそのご家族、そして多大な影響を受けられた皆様にお見舞い申し上げます。

そして、今も医療の最前線で闘っておられる医療従事者の皆様に心からお礼を申し上げます。


さて、このタイミングでブログ担当が回ってきて何を書くか迷いましたが、あえてコロナとは関係ないことを書こうと思います。

プロやアマチュアも含めると、日本国内だけでもかなりの楽器奏者がいらっしゃると思います。

そして、当然のことですがその一人一人に「楽器を始めるきっかけや理由」があると思います。

例えば「親が音楽家だったので自分も自然とその楽器を習うようになった」とか「友人に吹奏楽部に誘われたのがきっかけで楽器を始めた」とか。。。

そこで、今回は私が今の楽器(チェロ)を始めるきっかけについて書こうと思います。


私は中学生までは音楽と無縁の生活を送っていましたが、高校では縁があって吹奏楽部に入りサックスを吹いていました。

吹奏楽は楽しいなぁ、と実感し始めていたある日、忘れられない体験をします。

それは、高校2年の音楽の授業でのこと。

当時の音楽の授業は、クラッシックの名曲を聴いては感想文を書くというものでした。

普段は交響曲や管弦楽曲ばかり聴いていたのですが、その日はある楽器が単体で奏でる音楽を聴くということでした。

吹奏楽部にいたこともあり、当時は管弦楽曲を聴くのが楽しみだったので、楽器単体で演奏する曲というだけで興味を失せていました。

ところが、、、


いざ、その曲が流れだすと、その豊かな音色や表現力に一瞬で心を奪われてしまいました。

その音色は男性の声にも似ており、楽器が音楽を奏でているというよりは、人の声で物語を語られているような錯覚も感じていました。

(大袈裟かもしれませんが、その時は真剣にそう感じていました。)

その曲が、ヨーヨー・マが演奏するバッハ/無伴奏チェロ組曲第1番でした。

授業が終わった直後に先生のところに行って「今日聴いた曲の曲名をもう一度教えてください」と言ったのを今でも覚えています。

その後、私が進学した某大学には吹奏楽部とオーケストラがあり、最初は漠然と吹奏楽部に入るつもりでいました。

しかし、あの授業で聞いたチェロの音色が忘れられず、気がつけばオーケストラの見学に行っていました。

幸い「チェロは新入部員募集中。団所有の楽器もあるから初心者でも大丈夫だよ。」と聞いたので、これも運命と思いその日のうちに入団しました。


あれから約30年、今でも細々とチェロを続けています(笑)

なかなか上達しなくて何度も辞めようと思ったことがありますが、それでも続けているのはやっぱりチェロが好きなんでしょうね。

この出会いを大切にしつつ、これからも末永く向き合っていきたいなぁと思っています。
チェロおじさん2号
posted by 八幡市民オーケストラ at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記