2017年06月10日

リヒャルト・シュトラウス

次回演奏会のメイン曲は「英雄の生涯」ですが、皆さんリヒャルト・シュトラウスってご存知ですか?
彼は、かの有名なワルツ王、ヨハン・シュトラウスの親戚!

…ではありません。

R・シュトラウスは1864年ドイツ南部のミュンヘン(当時バイエルン王国の首都)生まれの指揮者・作曲家です。同年代の作曲家では1858年生まれのプッチーニ、60年のマーラー、62年のドビュッシーなどがいますが、1825年生まれのヨハン・シュトラウス二世とは何の関係もないそうです。
父フランツはミュンヘン宮廷管弦楽団の第1ホルン奏者。モーツァルトなどの古典音楽派で強烈なアンチ・ワグネリアン(ワーグナー嫌い)を公言していましたが、それにもかかわらず彼はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の初演で主席奏者を務めており、ワーグナー自身も認める程の腕前だったのです。彼は他にもヴァイオリン、ギター、クラリネットなど様々な楽器を演奏できたそうです。
母ヨゼファはビール醸造業プジョール家の娘ですが、プジョールは19世紀の終わり頃にはフランスやアメリカまで輸出する大企業になっています。

シュトラウスは音楽万能の父と裕福な母家という恵まれた家系に生まれたわけですね。父フランツの影響(とコネ?)でピアノは4才から、ヴァイオリンは8才、作曲も11才から、それぞれミュンヘン宮廷管弦楽団のメンバーから習っており、家でもフランツが同僚としょっちゅう弦楽四重奏をしていたり、フランツのピアノ伴奏をしたり・・と至れり尽くせりの音楽環境だったようです。
このような環境の中で、シュトラウスは7才の頃にはすでに「クリスマス・ソング」という曲を作曲しており、17才の1881年には交響曲ニ短調が、翌年には「13管楽器のためのセレナード」が初演され好評を博し、20才の1884年にはマイニンゲン宮廷管弦楽団で指揮者デビューも果たしたのです。
その後マイニンゲン宮廷管弦楽団、ミュンヘン宮廷歌劇場、ワイマール宮廷歌劇場、再度ミュンヘン宮廷歌劇場と各地の歌劇場のポストを渡り歩き、1998年にベルリン宮廷歌劇場の第一カペルマイスターに就任。この頃には既に交響詩「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ツァラトゥストラはかく語り」等を発表しており音楽家としてドイツ随一と言える程名を上げていますが、その後20年のベルリン時代では歌劇「サロメ」や「バラの騎士」でさらに大成功しています。書けば当たるヒットメーカーで、現在で言えば秋○康と言ったところでしょうか!?

交響詩「英雄の生涯」はベルリンに来た1998年に作曲されており、ベートーヴェンの第3番英雄交響曲を意識して書かれたものですが、この作品の「英雄」とはシュトラウス自身のことだそうです。
この曲は冒頭で<英雄>(=シュトラウス)のテーマが登場し、その後、英雄の足を引っ張ろうとする<英雄の敵>(=ミュンヘン時代にシュトラウスと敵対した歌手やオーケストラや批評家たち!)の描写や、独奏ヴァイオリンによる<英雄の妻>(=シュトラウスの妻、パウリーネ)の愛の歌が演奏され、さらには<英雄の業績>としてシュトラウスの過去の作品の主題がオンパレードで登場するのです。
ベートーヴェンの名曲をモデルにするだけでも大胆だと思いますが、自分をモデルにここまでするなんて、シュトラウスはものすごい自信家だったのかもしれませんね。

そんな背景を調べつつ、譜読みに苦労する今日このごろ。間違ってもウインナーワルツにはならないようにしたいものです。
Vn新人A
posted by 八幡市民オーケストラ at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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