2017年08月11日

新世界交響曲に思いを巡らせて

この3月に入団しました。第49回定期演奏会の演奏曲目がドボルザークの交響曲9番ということで、連想的に色々なことに思いを巡らせましたが以下はその一部です。
この交響曲は今から60年前の中学生の頃、まだ、「交響曲第5番‘新世界より’」で呼ばれていました。恐らく私が初めて買ったLPで、演奏はトスカニーニとNBC交響楽団でした。これ以降は何が何でもトスカニーニとNBCの演奏というほどにはまっていきました。友人はラファエル・クーベリックの指揮するLPをもっていました。二人で持ち寄って聴き比べをしました。第2楽章の中間部のコントラバスのピッチカートは言うまでもありませんが、第4楽章126小節から始まるコントラバスのppのピッチカートが友人のプレイヤーではくっきり再現されるのに、自分のプレイヤーでは聞こえなくなってしまって、その度に、ボリュームを上げて聴くなどしたことが思い出されます。
高校に進学して3年間は大阪の朝日ジニア―オケにフルートで参加しました。上には上がいます。2ndフルートに甘んじておりました。3年間のジュニアオケ活動を通じていろんな楽器と接する内に、興味がコントラバスに移っていきました。当時は、オーボエ、ファゴット、コントラバスの人材が渇望されていました。高3のときにコントラバスに転向しました。当時、演奏会に向けシューベルトの未完成交響曲を練習していましたが、オケの全体練習で指揮の朝比奈隆先生から「君、一人で弾いて見なさい」と冒頭のバスパートの演奏を命じられたことがあります。身の縮む思いで弾きわった時の評「迷惑ではないな」という微妙なものでした。
 連想は飛びます。その後、そこそこ弾けるようになり、師匠である西出昌弘先生の紹介で、関西フィルハーモニー管弦楽団の前身であるヴィエールフィルハーモニックにエキストラに行くようになりました。この楽団の指揮者は創設者の宇宿正人さんですが、ワンマンなやり方で、私がエキストラにいきはじめてから2〜3年経た頃に、とうとう団員との仲がこじれてしまい、指揮者が団を離れることになり、その最後の演奏会が新世界交響曲でした。いつも通りの指揮をする指揮者と白けた団員の中での演奏でした。この連想からさらに、団員との関係がこじれてしまった、カール・チェリウスと京都市交響楽団のお別れ演奏会を聴きに行ったことが思い出されました。演奏する方の思いとは別に聴く方の思いは聞こえない音を聞いてしまったり、凡庸に聞こえたり、名演奏に聞こえたりします。内紛のことなど何も知らなければ聴く方は何も感じません。演奏者は何らかの形で指揮者を裏切ることができても、一方で決して作曲者を裏切ること出来ないというところに一つの答えがあるのかもしれません。「どんな音が出したいですか?」という「はるもにい」の問いかけと併せて、演奏とはどうあるべきかを深く考えさせられます。
日浦啓全
posted by 八幡市民オーケストラ at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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