2017年09月10日

英雄の生涯に寄せて

裕輝も早いものでもう4歳、成長するにつれ、持って生まれたものや少しずつ形成されつつある個性のようなものが感じられるようになってきた。人の性格や好みはどこから来るのか?家庭環境?持って生まれたもの?仲間?そりゃどれもでしょ、とみんな当然のように言う。でもそれだけだろうか?「どんな環境で育ったとしても自分は自分で変わらなかったのではないか?あまり親の言うことを好んで聞き入れた記憶がない。どちらかと言えばしぶしぶ。
かと言って持って生まれたものだけが全てで親や仲間達から何の感化も受けなかった訳でもない。では今自分が彼にしてやれることは何だろう?」ようやく会話らしいことができるようになった裕輝と話しているとふとそう思うことがある。
1940年代まで生きた人物にしては伝記らしい文献が多くないシュトラウスはどのような幼少期を過ごしたのだろう?父フランツは養子だった。スパルタ教育で育てられ、後にワーグナー、ブラームス、ビューローなどからも一目置かれるほどの名ホルニストになる。息子リヒャルトも父のホルンが大好きで、マイスタージンガーのソロを父より上手に吹く人を知らないと言っていた。母は裕福なビール醸造家の娘でかなり神経質な人だったらしい。家には常に父の同僚が出入りし、音楽を志すには最適な環境で育った。少年はいわゆる神童、5歳から作曲できるほどの才能を持ち、挫折することもなく、そのまま音楽の世界でピアニスト、指揮者兼作曲家として成功した。父フランツは、いわゆる教育パパ。幼少期のリヒャルトは父の言いつけをきちんと守る賢い子だった。父はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどのドイツ古典派に深く傾倒していたため、息子にも古典派中心の音楽教育、敵視していたワーグナーからはできるだけ遠ざけるようにしていた。16歳で音楽界にデヴューしたリヒャルトに対しても対位法の技巧に走りがちな作曲の癖を何度も指摘し、同僚チェリストの奥さんと不倫騒動を起こしそうになった時も厳しくたしなめた。
(W不倫ではなく、リヒャルトはまだ20歳で独身だった。
しかし、そんなことで親子関係が悪くなることもなく、父への敬愛を忘れず、コンチェルト1番を父のために書いた。情報不足で音楽以外のエピソードが見つからず、人間臭さが少ない印象だが、興味を引いたのが、数学だけがあまり得意ではなかったこと。それと関わりはないかもしれないが、お金を貯めることだけにずっとこだわり、特に癇癪持ちのソプラノ歌手だったパウリーネと結婚してからは、さらに拍車がかかった。お金が稼げる演奏会にはなりふり構わず自分のオケ(ベルリンフィル)を駆り出し、それを他人から揶揄されても、全く動じなかったそうだ。作品に出てくるあのロマンティックなメロディの数々からは全くかけ離れていてちょっとおもしろい。
今自分がこうしてホルンを通じて少しだけでも音楽に触れてそれを学ぶことができる。英雄の生涯のような難曲にも挑戦させてもらえる。これは自分の持って生まれたものだけでここまで来たのでなく、良くも悪くもこれまで関わったすべての積み重ねだということだけは確かで、その結果幸せに生きている。いろんなものに感謝しながら、いろんなものを見聞きしながら、これからも裕輝と一緒に成長していきたいと思う。

弥益 洋
posted by 八幡市民オーケストラ at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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