2020年06月20日

拍と拍の間(あいだ)

毎朝、会社で始業前にラジオ体操をする。若いころは「こんなヤワな体操、役に立つのか?」とバカにしていたが、今はキッチリやるとけっこうきつい。そして、ラジオ体操をした日は、なんとなく体の動きが軽くなるような気がするので、出来るだけ参加するようにしている。
体操をしながらまわりを見ていると、一所懸命にやっている人は案外少なく、適当にふにゃふにゃと体を動かしている人や独自の動きをつけている人など、いろんな人がいて面白い。そして驚くべきことに、音楽と全く無関係なテンポやリズムで体を動かしている人のなんと多いことか。ラジオ体操のピアニストはその動きを想像して、体を伸ばして止めるところ、回転運動するところ、跳躍運動するところなどを、スタッカートで音を停めたり加速度感を出したり少しためてみたりと、いろいろ工夫して演奏していると思うのだが、そんなピアニストの努力の甲斐もなく1拍以上ずれていても平気で体操している人もいる。テキトウに体操している人は、ピアノと無関係に体を動かすことに何の違和感を持たないのであろうか。私としてはピアノに合わさずに体を動かす方が難しいと思うのだが。

ところで、ラジオ体操をやっている中で、つい最近気がついたことがある。それは、『体を動かしだすのは1拍目からではない。1拍目の前にすでに動かし始めている』ということだ。そんなのあたりまえだという人もいるかもしれないが、私はそれに気づいたときちょっとした衝撃を受けた。アウフタクトがある音楽ではない。つまり4拍子のちょうど4拍目から動かし始めているのではない。4拍目の直後の適当なところから体を動かし始めて、1拍目の瞬間には手足は所定の位置に到達、あるいは通過している。そして1拍目の直後からまた動かし始めて2拍目の瞬間に所定の位置に到達する。つまり常に拍の前からその拍に向かって動きがあるということだ。
我々が楽器を演奏する時に使用する楽譜では、音符はその瞬間以降どういう音を出すかということを表している。例えば4拍子の曲で1小節に四分音符が4つ並んでいる場合、1拍目の頭から音が始まり、四分音符の分だけ音を持続して2拍目の直前で音を切り、2拍目の頭からまた音を出す。つまり音符の前のことについては表示されていない(前打音を除いて)。この現象だけ捉えると体操の体の動きとは全く逆なのだ。
しかしこの体操の動きを参考にして『音楽の流れ』という観点から考えてみると、その拍の音が鳴る前の時点からすでに音楽は始まっているということがあらためて理解できる。例えば曲の冒頭、音が鳴るその拍の前からすでに演奏者の心の中に、そして体にも動きが始まっている。動きが始まる時点は曲想によって違い、それはちょうど1拍前であるかもしれないし、曲によっては明確に1拍前ではない曖昧な時点かもしれない。
次に音が鳴り始めたあとのことを考えてみる。音符という記号では、その音自体の音程や長さ、強さ、ニュアンスだけを表しているが、実際の演奏ではそのような『その音自体をどう鳴らしてどう終わらすか』ということと同時に、『次の音、次の拍に向かってどう動くか、どう流れるか』ということを心の中や体の動きでやっている。つまり楽譜には一見記載されていないような拍と拍の間、音符と音符の間にあるものを読み解きながら、演奏をすすめてゆくのである。
それでは、次の拍や音にどのような動きで向かうかということを決める音楽的要素とは何か。思いつくものをいくつか挙げてみよう。

1 拍子(beat) 
何拍子の何拍目から何拍目か。
強拍か、弱拍か。シンコペーションかどうか。
2 音程(interval)
 上昇か、下降か。
音程の幅は小さいか、あるいは大きく跳躍するか。半音には特に注意。
3 強弱(dynamics) 
強弱の変化はあるか。『subit p』など急激な変化には特に注意。
4 和声(harmony)
 和声は変わるか。それは例えばドミナントからトニックか。

などなど、楽譜をパッと見てわかることもあるが、一見しただけではわかりにくいこともあるので、事前の勉強も必要となってくる。
ただ、ここまで考えをすすめてみると、単に『音楽の基本要素』を並べただけみたいになってしまった。トレーナーのAn様に「だから、それは毎週練習で言ってることやないですか」と指摘されそうである。そう、このような基本的音楽要素が実は、拍と拍の間、音と音の間にこそ隠れているということは毎週の練習の中で「準備」や「ブレス」などという言葉でいつも指導を受けていることなのである。今回それを毎日のラジオ体操で改めて体感したということだ。そういえば、先ほどの体操の動きは、指揮者の振るタクトの動きに似ている。

我々アマチュアは、ともすれば必死で音符を追いかけて音程通り、リズム通りに音を出すということに終始してしまいそうになるが、音符や拍の上にあるものだけではなく、拍と拍の間にあるものを感じ取って音楽をすすめて行くことが、実はとても大切なのではないかと改めて思う。
音楽が始まってしまったら、そのあとは惰性で演奏してしまっていないだろうか。長く伸ばす音を出したあと何の方向性も無く、ただ音を出し続けていないだろうか。休符ではそこにある拍感や次に向かうエネルギーを感じずに本当に休んでしまっていないだろうか。そんなことを反省しつつ、明日もまたラジオ体操で体を動かそう。できれば、より音楽的に。

クラのゆうすけ
posted by 八幡市民オーケストラ at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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