プラハの練習にあたって最もこだわった(つもりな)のは、一言でいえば、「音楽の形を整える」ということだと思います。モーツァルトの楽譜は、たとえばマーラーやリヒャルトなどとは対照的に、指示があまりしつこく記されていません。当時、いちいち断らなくても当然そうするだろうという不文律は、基本的に書かれることはありませんでした。日頃当たり前に日本語を話している人に、日本語の話し方をいちいち説明しないようなものですね。なので、モーツァルトの楽譜は、楽譜の指示に従って音を並べてもびっくりするほど曲にならず、明示的には書かれていないことを積極的に表現する必要があります。そこで、フレーズの作りをはっきりさせたり、個々の伴奏音型の方向性にこだわったり、聞こえるべき音が聞こえるようにバランスをとったり、何よりも旋律の歌い方にはこだわったつもりです(し、あと2回の練習でもこだわるつもりです)。
もう一つのこだわりは、何と言っても、モーツァルトらしいサウンドですね。モーツァルトといえば軽やかな音で演奏したいところですが、軽やかな音を出すことと、軽く弾くことは違います。ずいぶん若いころに、カルテットで、アマデウス・カルテットの公開レッスンを受講したことがあります(曲はモーツァルトのカルテット)。古い話でだいぶ記憶が薄れていますが、もっと弾け、楽器を最大限鳴らせ、内声がどんどん積極的に音楽を作っていけ、と言われたことが印象に残っています。そしてブレイニンさんの音の美しかったこと!
その後、以前所属していたオケで、フィガロの結婚の全曲を演奏する機会があり、当時ウィーンフィルのコンマスだったウェルナー・ヒンクさんが、弦分奏の指導に来てくれるというラッキーなことがありました。どの曲かは忘れてしまいましたが、トゥッティでフォルティッシモの曲を弾いたところ、フォルティッシモに目がくらんで力んだ音になっていたのだと思いますが、「ショスタコかと思った!!」と笑われました。(そういえば、子供のころにレッスンでモーツァルトの協奏曲を習っていたときにも、「プロコじゃあるまいし、そんなきつい音で弾くな」と叱られました。)その時の弦分奏は、ヒンクさんがコンマスの席に座り、自分が弾きながら弦楽器全体にばしばし指示を出していくスタイルで、隣で弾かせてもらった私は、音の出し方を大いに学ばせていただきました。そんな得難い経験から得た音のイメージを再現できればなあと思っています。
最後に、トレーナーをやって俄かにスコアを真面目に読むようになりました(練習初期のころ、家でスコアを読んでいたら、娘に「何してんの?」と聞かれ、「プラハのトレーナーするから予習」と答えたら、「付け焼刃やな」と言われました)。プラハのスコア、読めば読むほど面白い。意表を突く仕掛けが、大小取り混ぜて満載で、都度ニヤッとしてしまいます。本番では、自分たちが楽しんで演奏することはもちろん、モーツァルトの仕掛けをお客さんに最大限伝えるような演奏をしたいものです。
新米トレーナー2号