2011年08月07日

心に響く演奏

 最近、演奏会やCDを聴いて感じることは、プロ・アマ問わず昔に比べて非常に質が高く、音楽的にも自然な表現や流れがある演奏が多いということです。
 反面、何か今ひとつ物足りないとか、心の芯にぐっとくるものがないとか、ただ綺麗なだけな演奏も数多くある気がします。私の感受性が鈍っただけかもしれませんが、「良い」とか「上手い」演奏はたくさんあるのですが、感動する演奏にはなかなか出会えないというのは昔も今も同じような気がします。でも私が好きなのは『心に響く音楽』で、だから自分でもそういう演奏がしたいと思うのです。

 聴く人の『心に響く演奏』とはなんでしょう。もちろん、聴く側の趣向やそのときの精神的状態によっても違うとは思いますが、やはり私は演奏者の『熱い思い』や曲によっては『強い精神性』のようなものが不可欠だと思うのです。
 演奏者がその音楽に込める気持や心、ひいてはその人となりまでが強く感じられる演奏は、少し乱暴な言い方をすれば多少聞き苦しい点があったとしても、綺麗なだけで心が足りない演奏よりは聴く者の心に響くと思うのです。
 ただし、自分勝手な思いをぶちまけるだけの自慰的な表現は、逆の意味で心に響いたとしても、受け入れ難いものになるかもしれませんが。
 いつも心を込めて演奏したいと強く願う私も、実はそんなことは全く出来ず、つい頭だけで考えたり、ひどいときは何も考えず何も感じずにただ漫然と楽譜を追いかけて音を出していたり、そんな時間が演奏のほとんどを占めています。どの音にも気を抜くことなく、常に気持ちの入った演奏を聴くと本当に凄いと思うのですが、私も自分の気に入ったメロディなどから初めて徐々に気持ちの入った時間を拡大していけたらと思います。

 このこととは別に、私自身演奏する上で最近意識することが強くなってきたことがあります。それは『音楽に身を委ねる』ということです。
 偉大な作曲家が創った作品は演奏する時にはすでにそこに確固たる形で流れていて、自分はただその流れに身を委ね忠実に音を具現化していく、という感覚です。もちろん、その過程には自分の心というフィルターを通していくのですけど、決して作品を演奏者の愚かな考えでねじ曲げてはいけません。
 カルロス クライバーが言っていました。『本当に奥の深い曲には手を触れぬべきだ。せっかくの曲の完璧さが演奏することで損なわれる』と。
 これは極端な話だとは思いますが、作品に対して誠実に耳を傾け(プロの録音を聴くという意味ではなく)、その作品を自分の心で聴いて、そこから湧き出てくる何かを感じながら演奏したいと思うようになってきました。

 さて、自分の思いや情熱を音楽にぶつけて表現するということと、音楽に身を委ねるということは、相反することのようにも思えますが、果たして両立するのでしょうか。
 バランスをとるのは非常に難しいかもしれませんが、私は矛盾することではない気がします。というよりむしろこれら2つがうまく融合したときにこそ、真に『人の心に響く演奏』ができるような気がするのですがいかがでしょうか。
 もしオーケストラ70人全員が全く同じ音楽を感じてその音楽に身を委ねて演奏したなら、そこから出てくる音楽はひとつの塊となってうねるようにホール中をめぐるでしょう。そしてさらに70人の『熱い思い』のベクトルが同じ方向を向いたとき、それはとてつもないエネルギーとなって客席一人一人の心に届くに違いありません。

 次回定期演奏会のブルックナーも『耳に気持ちいい』だけではなく『心に気持ちいい』演奏が出来るよう、日々精進していきたいです。

(クラリネット 木谷)

posted by 八幡市民オーケストラ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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